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| 現在の写真(赤い鉄骨の残骸はかつてのモニュメントの基礎部分)と陸前高田の市街地の津波前の写真(ガイドの新沼岳志さんの写真) 2,013年7月22日 |
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春日丘高校の畑中利明校長先生が
激励に来てくださいました。2013年7月19日
(上)組写真はブラウザ環境に依存しています。
以下、同じです。 |
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| 南三陸町の現状。地盤沈下で被災したビルが孤立し、鉄道は寸断されそのまま放置されている状態。2013年7月20日 |
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| 南三陸町の現状。ビルや家屋の残骸が町の片隅に寄せられている。鉄筋の残骸が鉄くずとして重機で処理されている。2013年7月20日 |
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| (上) 気仙沼の住宅地も水産加工基地も更地が多い。水産加工基地は河口に近く、地盤沈下で5mも盛り土をする必要があるという。2013年7月20日 |
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| 八葉水産で気仙沼水産業と津波被害についてのガイダンス。2013年7月20日 |
八葉水産の清水敏也社長と記念撮影。 2013年7月20日 |
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| 3グループに分かれてマイナス30度の工場見学。2013年7月20日 |
みんな、準備万端。2013年7月20日 |
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(上) 支援者にお渡しするメッセージ入りのプレゼント3,000個をみんなでラッピングしているところ。2013年7月20日
工場は河口にあったが先代からの教えで河口近くに建設した工場の基礎に杭を何百本も打ちこんでいた。そのおかげで
地盤沈下や社屋ビルの倒壊を免れることができ、気仙沼でも最も早く復旧した水産加工場の一つとなった。
(上) 社屋の前は大川。津波直後は家屋や自動車などの残骸が堤防に引っかかる形で残されていた。
対岸はもともとゼロメートル地帯で、地盤沈下したことにより、堤防がないと水面下になってしまう地域だという。
現状では大雨が降っても大川の水面の方が高いので水が溜まって川に流れず、排水のためにポンプが必要になる。
水産加工場の集積地として再生するには、5mの盛り土が必要であり、産業の再生がますます遅れることになっている。 |
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(上) 気仙沼の乗船場であるエースポートでははしけが津波で壊れたまま放置されている。この時には駐車場ビルが撤去されていた。2013年7月21日
(上) 大島のカキ養殖を再興すべく加工場を高台の上に移す。カキ加工場の建設資材を船着場から高台の上に運搬する作業をする。2013年7月21日 |
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| カキ加工場の梁や柱になる材木をグループで運んでいく。2013年7月21日 |
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| 今回の支援活動で最大の山場。1枚200KGの鋼材を20人掛かりで運搬する。1組4人で建材をリレー方式で高台に手渡していく。2013年7月21日 |
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| ブランド力のあるカキをいかに生産するか、クルージングの合間に説明を受ける。最後にねぎらいの言葉をいただきました。2013年7月21日 |
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| 往路は民宿海鳳さんの厚意でバスを出していただいた。復路は亀山を超え片道40分を歩いて船着場に向かう。2013年7月21日 |
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| 道の駅 高田松原。数少なくなった被災当時そのままの建物。2013年7月22日 |
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道の駅 高田松原。数少なくなった被災当時そのままの建物。2013年7月22日
慰霊施設で亡くなった方々に対して黙とうを捧げたあと、陸前高田市内の視察を行った。ガイドは新沼岳志さんにお願いした。 |
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| 鹿折地区の復幸マルシェで各自、昼食をとる。道路に出ると第十八共徳丸が見える。2013年7月22日 |
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| 気仙沼高校の生徒会との交流。生徒会メンバーから被災当時の気仙沼高校の生徒の非日常的な生活の様子が説明された。2013年7月22日 |
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| ロンドン五輪で銀メダルを獲得した千田健太選手のプレート。2012年8月11日に茨木でダンス部が演じてくれた「輪廻」の賞状。2013年7月22日 |
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| 春日丘高校、つばさネットワークから義援金をお渡しする。2013年7月22日 |
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| 気仙沼高校校長 小山 淳 校長からのあいさつ |
団長である春日丘高校の大岡成樹 首席からのあいさつ |
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| 気仙沼高校での交流会を終えての記念撮影 2013年7月22日 |
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