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左は、参加者説明会 20180629 右は、熱中症対策水の買い出し 20180710 |
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| 第一日目 20180713(金) | ||
| オリエンテーション | 坂口一美さんからの聞き取り | 見送りの方からの激励 |
気仙沼ボランティア:北摂つばさ高校 Haruka Abe 今回私は気仙沼ボランティアに参加しました。夕方集合する時はこれから初めての体験ばかりするんだろうなあと緊張と不安がありました。 2日目の朝着いてすぐ大島に行くためにフェリーに乗りました。かっぱえびせんをみんなで持って鳥にエサをやったりしました。私は鳥がほんとうに苦手やからエサを手でやるのが怖くて叫びまくってました。でも佐藤先生が手を掴んでサポートしてくれていつのまにか、かっぱえびせんを手であげることができました鳥のあの顔が今でも忘れられないですむっちゃ怖かったです。でもそれも滅多にないことだからいい体験をしたなあと今は感じています。 大島に着いて牡蠣の養殖をみたりカゴを洗ったり草を刈ったりお手伝いをしました。ずっと誰かのためになる何かをやりたいと思っていたので一つ一つ頑張りました。草刈りは腰が痛いし暑いし草も多くて果てしなくて大変だったけど少しでも役に立でているんだなと思うとやる気が出て最後までやりきることができました。大人数でやっても全部刈れなかったから人数が少なかったら本当に大変な作業だなと感じました。カゴを洗う作業もたくさんのカゴがあって汚れてて大変でした。でも綺麗になっていくカゴをみてすごく達成感が沸いてきて気持ちよかったです。 この地も津波で流されたと聞いてゾクッとしました。自分の当たり前だった生活や風景が一瞬で無くなることはわたしには全く想像できないけど本当にそんなことがあったと思うと他人事ではないし、いつか自分にも起こりうると思って話を聞きました。自分の住んでいるところにもし津波が襲ったら自分はどのような行動をしないといけないのか、何を持っていって逃げればいいのかとか改めて考える機会になりました。ほんとうに貴重な体験ができたとおもいます。 3日目は午前中、リアスアーク美術館に行き、震災学習をしました。美術館にはたくさんの悲惨な被災地の姿の写真が展示されていました。その一つ一つに詳しく状況が記載されていてどれも信じられるような状況ではありませんでした。今までも震災については勉強してきたし、ニュースもみて被災地の様子を見ていた気ではいたけど本当にその地に行き、展示されてるものを見るだけで大阪からニュースで見てたものよりもっと悲惨に感じるし胸が痛みました。私が美術館で見た展示物の中で1番印象に残ったのは車です。車のエンジン部分だけが展示されていました。運転席も後部座席もなにもありませんでした。本当に車だったとは到底思えないもので津波の怖さを目の当たりにしました。津波でこんな硬いものも跡形もなくなるんだ、と衝撃的でした。また、海にあるはずの漁船たちが家に突っ込んでしまっている写真をみてもほんとうに怖かったです。どうやって?どうゆうこと?ってなりました。 でも全部原因は津波で立派な家も簡単に流されてしまって倒壊して船まで陸に乗り出してくる。これが自分の生まれ育った街だったらと考えると言葉が出なかったし泣きそうになりました。最近、大きな地震を初めて経験したこともあってか地震の怖さをとても感じます。経験するまでは地震なんかなんとかなるやろうと甘く見ていたけど体験してみてそんな甘くみてはいけないものだと気づき、そして東日本大震災のニュースを見るたび、以前まで想像もしてなかったもし自分の街がこうなったら??と考えるようになりました。 大きい地震は一度だけだったけどそれが本当に怖くて今でも記憶に残っています。でも東日本大震災はその怖さに加えてすぐ津波もやってきたとおもうと震えました。地震でもたくさんの被害が出たけどやっぱり多くは津波で、津波はなにもかも奪っていく恐ろしいものだということを今回心から感じることができたし南海トラフもきっとくるし震災というのは決して他人事ではないと思います。今くるかもしれないし明日かもしれないしいつくるかわからないものだから命だけでも助かるように対策をしておかなければならないと思いました。 午後は植林活動をしました。大きな木に捕まって大切な命が救われたと聞いて今からする活動はほんとうに重要でいつかまた津波が来た時にまた人の命を助けることができると思い前向きに取り組みました。みんなで木を植えて水やりをしたりしました。水やりがほんとうに大変でした。水をバケツの中いっぱいに入れてそれを持って一つ一つの植物へやりにいかないといけなくて腰も痛いし暑いしで大変でした。でも働いている方に聞くと毎日欠かさずやってると笑顔で言っていてうわあ文句言ってられないなあと思った。いつか自分が植えた木やみんなが植えた木が人の命を助けるものになればいいなと思っています。 最終日は気仙沼高校との交流会でした。地震の話とかはしなかったけど、ゲームをしたりして楽しみました。こういう交流会がなければ気仙沼高校の生徒のみんなと出会うことないから貴重な体験をしたなと思います。これからも交流会で生徒同士が繋がり、深め合えればいいなと思いました。そのあと海の市に行きました。特になにを食べたとかはないけど雰囲気を楽しみました。 民泊が1番思い出に残りました。ほんとうに私たちによくしてくれました。ご飯もたくさん栄養を考えてくれていて色とりどりで野菜も豊富でとても美味しかったです。おじいちゃんが手作りの何かの会長をやっていて3日目の夜みんなで工作しました。本物の木でストラップを作ったり、本物の話や貝でアクアリウム?をつくりました。色どりを考えたりして難しかったけどいい思い出の物ができて嬉しかったです。そのあとは化石を持ってきてくれて化石を触ったりおじいちゃんが楽しそうに解説してくれたりしてとても和みました。おばあちゃんもとても優しい方で私たちをすごく気にかけてくれました。その一つ一つが温かくて居心地がよかったです。別れる時涙が止まらなかったです。 おばあちゃんに最高だったよありがとうねと言われ抱きしめられた時とても悲しくて涙がでました。バスに乗るともう会えないという実感が湧いてきてお父さんが泣いていたのをみてまたさらに涙が出てきました。ずっと手を振ってくれてこんなに人と別れるのって寂しいものなんだなあと思いました。来た時はここまで泣くとは思わなかったしたったの2日間でもこうやって涙が出てくるものなんだとビックリしました。でもお父さんがわざわざ写真を現像して海の市に来てくれました。嬉しくてたまらなかったです。ほんとうに素敵なところに泊まれたなあと思いました。これは絶対忘れないと思います。民泊で人の温もりや優しさを身に染みて感じることができました。ここに来てよかったなあと1番感じる瞬間でもありました。 今回の気仙沼ボランティアでたくさんのことを学びました。すべてが貴重な体験でした。来てよかったです。今回感じたことを決して忘れず、一日一日大切に過ごしたいと思います。これからも気仙沼ボランティアがずっと続けばいいなと思います。 東日本大震災復興ボランティア 北摂つばさ高校 Motoki Aika 7月13日〜17日 東日本大震災復興ボランティア 1日目は最初に被災地の場所に行き、当時の話などを聞きながら被災の場所を見ました。行くたびに風景が変わっているけどまだまだ復興は出来てないなと思いました。それから牡蠣の養殖をしている所に50分山登りをしてからフェリーに乗って行きました。フェリーがもう今年で最後というのを聞いてカモメに餌をあげたりするのが出来なくなるんやとちょっと寂しい気持ちになりました。そして牡蠣の養殖の場所に到着してお弁当を食べてから草刈りと牡蠣のカゴ洗いと船に乗って養殖を見に行く3組に分かれました。私は最初草刈りでした。草刈りをどんどんしていくと色んな生物がいておもしろかったです。次に船に乗って養殖を見に行きました。すごく色々な物を見せてもらったし牡蠣がおっきくてびっくりしました。楽しかったです。 次にカゴ洗いをしました。汚れを取るのがすごく大変でしんどいと思ったけど、毎日これをしているんだなと思うと頑張らないとと思い、一生懸命頑張りました。 その作業が終わり夕方になってホストファミリーの方達と対面する時間になりました。前に泊まらしていただいた方々もいて嬉しかったです!そして今回泊まらしていただくホストファミリーのおじいちゃんおばあちゃんの車に乗らせてもらい家に向かいました。着いてから美味しいご飯を準備してくださっていてめちゃめちゃ美味しかったです!!あったかいご飯はやっぱりいいなと思いました。疲れがすごくあったのですぐに寝ました。 2日目はリアスアーク美術館に行き、被災地の写真や話などを色々してくださって海辺の森を作ろうの会に参加して植林をしました。それぞれ1人一本をこれでまた誰かが助かりますようにと思いながら植えました。 それから水やり係になったのでみんなが植えてくれた木に水やりをいっぱいしました。とてもしんどかったけど頑張りました。それから海辺の森を作ろうの会の会長の方が津波で木に捕まって助かった人たちの話を聞いたり津波の歴史の話を聞きました。すごくいい勉強になりました。そして夕方になりホストファミリーのお家に向かいました。お風呂に入って美味しいご飯を食べて幸せでした。ホストファミリーのおじいちゃんが色々お土産に手作りのものを一緒に作ったりして楽しかったです。いい思い出がいっぱい増えました。 3日目はホストファミリーのおじいちゃんおばあちゃんとバイバイの日で2日間やったけどすごく思い出がいっぱい出来たので悲しかったです。おじいちゃんおばあちゃんも泣いていたので悲しい気持ちになりました。バイバイしてから気仙沼高校の生徒さんたちと交流をしました。ゲームを色々考えてくださっていたので、楽しくお喋りしながら交流ができました。顔見知りの子達もいて喋ったり写真を撮ったりいい思い出ができました。嬉しかったです。でもバイバイする時は悲しい気持ちになりました。それから海の市に行くと、ホストファミリーのおじいちゃんがいて写真を現像してわざわざ持ってきてくれて本当に嬉しかったし感動しました。いい人達に巡り会えたなと思いました。 これで高校生最後の東日本大震災復興ボランティアが終わってしまいました。私は高校3年間活動に参加できたことを本当に良かったなと思います。3年間で色々な人に出会い、被災地の場所を訪れ話を聞いたり、体験したことない事ができた3年間でした。私は来年ボランティアには参加することが出来ないので関わってきた人達に会えないって考えるととても悲しいし、来ることができないのも悲しいしすべてにおいて悲しいです。でもいつかまた何らかの形で東北に来る機会があれば絶対に行きたいと思います!!そして関わってきた人達に恩返しをしたいと思います!! 3年間ありがとうございました!お疲れ様でした! 東北ボランティア春日丘高校2年 Kaamoto Miya 私は、津波の到達点を伝えるガソリンスタンドの看板が撤去されるという報道を知り、現在の被災地の人々はは震災遺構をどのように残していくつもりなのか、そして、どのようにまちづくりをしていくのかということに重点を置いて様々なことを学び、そして多くの人にそのことを伝えたいと思います。そして、ボランティアとは受け入れてくれる人がいるからこそ成り立つのだということを忘れずに、今回も精一杯ボランティア活動を頑張りたいと思います。 気仙沼に入りました。一年前と違い、商店街にはお店が増え活気があるように感じます。また、復興住宅もできていましたが、地盤が安定していないのではという懸念や入居費用が高いという理由から空室が多いとのことです。牡蠣の養殖の筏もチリ地震の時は政府からの補助が全くなく、へそくりをはたいたというお話を聞きました。地震大国である日本において、日本政府はお金の使い方を考え直すべきなのではないかと思いました。 次に大島に着きました。大島は毎日新聞社を訪れたときに燃える大島を見たことで森を歩くときもその当時の様子を想像しながら歩きました。牡蠣の養殖所では、震災によってまっさらな状態になったところにボランティアの方が来てくださってここまで復興できたとおっしゃっていました。その中には、私たちが今回参加しているプロジェクトの先輩方も含まれています。改めて、このプロジェクトを続けて行くことの重要性を感じました。また、忘れられることが一番怖いともおっしゃっていました。それを聞いて、私たちが被災地を訪れたことと、この一年間震災について発信し続けたことはちゃんと意味があったのだ、無駄なことではなかったのだと思いました。いつか大島に訪れる機会があれば、必ずヤマヤ水産を訪れようと思いました。 また、震災とは悪いものとばかり思いがちですが、震災以前は交通の弁が良くなかった気仙沼が、震災以降に道路の整備が進みかなり交通の弁が良くなったという事例があります。また、大島の橋も住民の方が50年以上願ってやっと建設されたということで、震災のおかげというのは変ですが震災は悪いことばかりではなかったのかもしれません。しかし、今はなにもないまっさらな土地に当時は役場があり病院があり体育館などがあったということを忘れてはなりません。今回のテーマは想像するということで、坂口さんや現地の方の話を聞いて想像することにより、改めてその重要性を感じました。明日からも、想像することを大事にしていきたいと思います。 次の日はリアスアーク博物館に訪れ、植樹活動を行いました。それらの活動を通して学んだことは東日本大震災の被害は全くの想定外ではなかったということです。つまりは想定内だったのです。想定内であったことの1つに約15mの津波がくることが予想されていたことがあります。それでも人々はそんなわけないだろうと信じませんでした。過信は被害を拡大します。私たちには、津波てんでんこという言葉から分かる通り、子孫に同じ過ちを繰り返させないという責任があります。しかし、リアスアーク美術館の東日本大震災の展示に被災した学校が訪れたことは一度しかないそうです。それは学生たちへの配慮があるからこその結果ですが、学生の間に深く知る機会がなければ、そのまま地元を出てしまい一度も東日本大震災と向き合う機会がなくなってしまうことになります。また、震災遺構についてもそうです。被災者の方々への配慮から震災遺構として残さずに壊してしまうこともあります。しかし、本当にそれでいいのでしょうか。震災について子孫に伝えていくためには震災遺構を残す決断も必要だと私は考えます。 そのような現状がある一方で、震災の経験を活かしているところもあります。例えば、和歌山県や気仙沼内湾地区防潮堤などです。ここでは宮城県の松島で島がいくつも点在していたため波の流れる方向が複雑になりお互いに相殺され、波の勢いが弱まることで被害が少なくすんだという経験から考えられた、防潮堤を築くのではなく島の代わりになるポールをいくつか立てることで被害を少なくできるのではないかという考え使われています。しかし、実績がないという理由から採用されないところがほとんどだそうです。しかし、その判断は正しいのでしょうか。住民の方の声を無視しているのではないでしょうか。復興とは一度衰えたものを盛んにするということです。人々に笑顔が戻ってやっと復興したと言えるのではないでしょうか。復興工事と呼ばれますが、果たして本当に復興工事なのか、人々の笑顔で過ごすことができる町になっているのか疑問が浮かびます。 最終日は気仙沼高校に訪れました。昨年の交流で仲良くなった方と会い、お互いの近況などを報告することで、繋がりを感じました。今回の交流も含めて培った繋がりをこれからも大切にしていきたいです。 今回のボランティアでは想像することと震災の経験を無駄にしないことの大切さについて知ることができました。また、昨年とはまた違った視点で見ることでき、私がこれからも続けていこうと考えている「伝える」という活動を少し考え直すこともできました。そして、被災地の人々の温かさを見にしみて感じました。この経験を様々なことに活かしていきたいと思います。ありがとうございました。 東北プロジェクトの4日間 春日丘高校 1年 Inoue Kenichi 7月13日今日東北に向かってバスで移動した。僕はJR茨木駅から歩いて北摂つばさ高校に来たので、足と重たいリュックを背負った肩がパンパンになって、ヘトヘトでバスに乗った。僕は東北に行って、被災地を肌で体験して、体で感じたいと思う。そして復興が進む場所から想像して昔をイメージしていきたいと思う。民泊先では、ホストファミリーの片方の手伝えること全てできるようのしたいと思う。今回の体験を今後に活かせることを考えながら行動していきたいと思う。この体験でイメージをする能力を磨いていきたいと思う。そして、最近起こった大阪地震を経験しているので、この経験を活かして活動したいと思う。 7月14日今日朝南三陸町をバスから見た。工事中の防災庁舎を見た、ここでは震災当時最後までアナウンスして亡くなったという人の話を聞いた。そして今南三陸町はかさ上げ工事を行っていて、公園などを作る予定らしい。バスから周りを見たらほとんどが平地になっていた、昔は住宅などがあったと思う。道路が整備されていて昔より移動しやすくなったらしい。しかし、震災から7年経った今でも工事中であり復興しきれていない現状にある。昼前になりフェリーに乗ってカモメとたわむれながら、大島に向かった、ついてすぐ軽登山をしました、その中の木々を見ていくと葉っぱのなくなっている木々があった、これは津波や火事によってなくなったらしい。 その後牡蠣養殖場につき昼食後、船に乗って牡蠣の養殖しているいかだを見た、そこで一年もの牡蠣と2年ものの牡蠣を見比べた大きさが全然違っていた、津波ではこれが全て流れていたと思うと恐ろしく感じた、震災から7年経った今ようやく起動に乗ってきたらしい。次にカゴ洗いをしたたわしでゴシゴシこすったが全然汚れが取れなかった、高圧洗浄機強すぎたと思った、でも一台しかなかったやはり高いので、手で洗うのがいいなと思う。その後牡蠣養殖場の庭の草刈りをした。その庭は震災時からそのままにしていたらしく、草木が生い茂っていました。そこを綺麗にして元の庭に近づけて行きました。 帰りにもフェリーでカモメとたわむれながら帰っていきました。カモメには手で餌をやったりした。その後バスに乗ってホストファミリーの待つ八ッ瀬に向かいました。月立小学校旧校舎でホストファミリーの方と対面しました。初めはとても緊張していましたが、話してみるととても優しく、面白い方々でした。ホストファミリーの方の家はとても広く玄関すぐに食卓がありそこでご飯をいただいた、そこで僕が大好きなキュウリがいっぱいあってとても嬉しかったです、そしてめちゃくちゃみずみずしく美味しかったです。その後お風呂に入って、団欒をし、寝た。 7月15日今日朝5時00分に起床ちょっと早かった。ここの朝はとてもすずしく過ごしやすかった。家の近くにあるビニールハウスのキュウリなどみた、そこでトラバサミにきずかず引っかかりそうになった。5時30分に朝ごはんのお手伝いをした。目玉焼きやベーコン焼きを作った。野菜はみずみずしくて美味しかった。その後団欒を楽しみ出発した。その後リアス・アーク美術館に訪れた。ここでは震災後すぐの写真などや当時の壊れたものなどが置いてあった。それらからは震災の悲惨さを肌で感じることができた。また写真から津波と地震が全てを破壊して持っていく恐怖が感じられた。たった今まで人が暮らしていた痕跡が残っていたりした、地震や津波はそのまま人をさらっていくように思えた、瓦礫の中に残る綺麗な部屋などをみると違和感などを感じた、ここで生活していた人が流されたと思うととても怖くなった。 その後他の美術的展示物を見たあと、バスで植樹場へ移動、植樹場で昼食をとった。その後ジュンベリーを植えた植え方は等間隔で支柱たて穴を掘って埋めて肥料かけて完成です。他には花壇に花を植えたりした。綺麗に見せるのが困難だった、数学よりも感覚で間隔を合わせるほうがよさそうだった。そこから近くの海岸へ行き津波の被害などの話を聞いた。初めは14メートルほどと予想されていたが実際は25メートルほど上がったらしかった。そして海岸線に到着し、90度傾き倒れた水門を見た、無残にも鉄筋コンクリートの柱も折れて倒れているところを見ると、改めて津波の大きさを感じることができた。 その帰り道に大きな畑を通った全然被災した感じはしなかったが、奥を見るとまだやはり瓦礫は残っていた。その後宿舎に戻ってきて、畑やビニールハウス、ニワトリなどを見た。家に入るとトウモロコシが用意してあって食べると、とても甘くめちゃくちゃ美味しかった。今までトウモロコシは苦手だったがこれを機に少し好きになった。宮城県産のホヤを自分でさばくことができた、大阪に出回っているものの2倍くらいあり貴重な経験だったと思う。そして食事の時間になりメニューはカツオの刺身ホヤの刺身唐揚げ、サラダ、キュウリのしいチキンあえ、茄子ピーマン、などの色とりどりのメニューでした。ホヤとカツオは名産らしくとても美味しかったです。星が見たかったですがあいにく雲がかっていて見れなかった。そのあとお風呂に入って寝ました。 7月16日朝5時40分起床。昨日より少し遅かった。起きるともうホストファミリーのお母さんが朝ごはんを作ってくれていた。僕も朝ごはんを作るのを手伝った。今日は目玉焼きとシャケとウィンナーと野菜たちと味噌汁だった。作ったあと少し猫を観察してみんなでご飯を食べた。ここのニワトリから取れたとれたての卵は絶品で箸で掴めるほどでした。これがホストファミリーと食べる最後の食事と思うと悲しく感じた。最後月立小中学校旧校舎に行き最後のあいさつをした。すごくお世話になったのでとても寂しかった。 そのあとバスに乗り気仙沼高校へ向かった。そこでは交流があり自己紹介をして災害に対する備えについてのグループディスカッションを行ったりした。最後には気仙沼高校の人と打ち解け友達もできた。最後の別れは感動的であったと思う。そしてバスに乗り海市に向かった。そこでとても美味しい寿司を食べた。そこで大きな水ダコとイカの塩辛とカツオの刺身とサメの心臓を買いました。輸送ができなかったので発泡スチロールに入れて持って帰った。ここの名産のサメの唐揚げをいただいた。淡白な味でとても美味しかった。その後海市を後にしてバスに乗り大阪に向けて出発した。途中のサービスエリアで晩御飯を買って帰った。 今回の東北プロジェクトを振り返って、色々な震災の被害などを見てテレビなどを見るだけでは分からなかった現状などを肌で体験することができた。牡蠣養殖では軌道にのるまでの苦労などを知り、植樹場では植樹に関して素人の人がみんなを幸せに出来るようにしようとしてる努力などを知ることができた。震災から7年経った今被災者の人々はみんなもとの生活に戻りつつあり、みんな前を向いて行きていることを深く感じることができた。来年も機会があれば参加したいと思う。 東北プロジェクト レポート春日丘高校1年 Takeuchi Fumiya 東北に行く上で、1番必要なことは、肌で感じ、頭で考えることだと思う。それはかなり抽象的だが、具体的に言うと、被災地の雰囲気を感じて、自分の頭の中でイメージを持つことだ。 私自身、6月18日の大阪北部地震を経験したが、それとは比べ物にならないほど被害と人々の心に大きな爪跡を残していった東日本大震災の起こった地に足を踏み入れるので、それ相応の覚悟を持って行く。それが「肌で感じ、頭で考えること」とした理由だ。 私は6月18日の大阪北部地震の時、外にいた。揺れがあった時、避難訓練で普段するような行動を起こせなかった。被害がそこまで大きくはなかったので今普通に生きているが、東日本大震災のようになっていたらと思うとゾッとする。そこで、現地の方に震災について学ぼうと思う。1日目に訪れた南三陸町では津波後の復旧工事の様子を見た。防災庁舎の高さは12mだったが、津波はそれを超える高さだったので、助かったのはその1番先に建っていた鉄塔につかまった人だけが助かった。また、人々を守るために行動をして犠牲になった人もいた。町のほとんどはかさ上げをして高台に移転する予定で工事をしているが、7年経ってもなかなか進まない状況にある。そのため、町の中枢機能のほとんどが山側へ移動している。工事のため、一般車が少なく、工事車両が多く走っている気がした。 気仙沼市は、現在、道路の整備が行われていて、高速道路はまだ繋がっていない状態である。 また、町村合併で誕生した町なので、土地が広大で、そのため市全体としての復興を果たしきれていない状態である。震災当時から手付かずのままの橋が残されている。これは負の遺産として残していって欲しいと思う。大島の自然が残る山には、所々不自然に緑がないところがある。これは、津波によって流された跡である。ここまで津波が来たという標識もあり、それは、高台だったが、成人男性がすっぽりと埋まるほどの高さだった。また、山火事によって木が生えていなかったところもあった。 船で海へ出ると、大きないかだがいくつも浮かび、牡蠣の養殖場が見えた。1年ものの牡蠣はまだ小さく、周りにはクラゲやムール貝が付いている。 2年ものになると、養殖用の原盤が巨大化し、ムール貝にうもれて牡蠣は見にくい。そして、周りに付いた昆布やムール貝を払いおとすらしい。また、牡蠣用の籠も洗浄した。 草刈りをして、八ツ瀬の民泊に泊まった。地元の食材は新鮮で美味しかった。 2日目に訪れたリアスアーク美術館は東日本大震災の資料が多く展示されている。「被災物」として震災当時のものがそのまま残されていた。大きなものだと家の一部やひしゃげた自動車、小さいものだとぬいぐるみやゲーム機、ドアノブなどがあった。そのどれもに共通することは、泥をかぶっていること。津波でたまたま流されなかったものや、金属でできていたので、沈んだものが多い。そのどれもが以前そのものを所有していた人たちの思い出を、背負っているので、それらをなくした人たちの後悔が大きくなった。 震災直後の写真から復旧への道筋を写真で解説されていて、改めて津波や、火災による恐ろしさを感じる。ただ、震災が起こった後で一番怖いのは人々が震災の記憶を忘れてしまうことだそう。確かにそうだと納得できた。 植樹活動を行った海辺の森では、大津波の時に、木につかまることで生き延びた人たちがいたことから、海辺に植樹をする計画があり、それに参加させてもらった。木を植えるには、支柱を立てておくのが必要。そして木にはそれぞれ共生する微生物がいて、それらを撒かないと、植え始めの土では、木が育たないそう。また、植える土壌が粘土質のところだと、水が溜まって根が腐りやすくなるらしい。 海岸では、大津波が届いたところで津波の話を聞いた。津波はリアス海岸の構造上、波が割れて津波の勢いが増したため、約20mの水が来たそう、それは大体電柱3本分の高さで、想像がつかないほどだった。 海岸には数少ない災害遺構として防潮堤が残されていて、1目見ただけでは分からないが津波の引き波で根元から90度傾いていて信じられない光景だった。また、新たに防潮堤の設置が進んでいる。 3日目に訪れた気仙沼高校では、「災害に備えるために必要なもの・こと」について話した。やはり水や食料といったもの、懐中電灯や携帯電話、ラジオといった電子機器が必要だと考えた人が多かった。実際にそうだろうと思った。また、気仙沼高校はフェンシングが強いらしい。海の市は、海鮮が多く並び、大阪では見られない魚が所狭しと並んでいる。地元のカツオや、モーラの星というサメの心臓などがあった。生ガキは初めて食べたが、クリーミーですごく美味しかった。今回のボランティアを通じて、現地に足を運ぶことが何よりも大切だと分かった。現地の人の実際の体験談に耳を傾けることが震災を学ぶ一番の近道だと分かった。実際に残った震災遺構を見て、現地の人の話を聞いて、少しだけれども震災のことが分かった気がする。 かけがえのない出会い 松原高校 Uto Moe はじまりました〜〜!東北への旅!第2弾!今回は、2回目の参加ということで去年の状況と今現在の状況とを見比べることができ、去年に気付かなかった事にも気付くことができ、さらに自分の中の知識や感性が高まる東北ボランティアになりました。私が2度の東北ボランティアを通じて感じたことは人と人が出会うことは奇跡なんだということです。 その理由はいくつかあります。まず1つ目は、東北ボランティアを共にした北摂つばさ高校、春日丘高校の生徒との出会いです。なぜ奇跡と感じたかというと、同じ高校の友達同士の価値観だけしかない状況でこのボランティアに参加していると、学べることが少なかったと思います。他の学校の生徒がいることによって、私たちが気付かなかったところに気付いていたり、このボランティアに関することだけではなく学校生活の話や、6月に起きた大阪北部地震のときの話や色々なことを聞いたり話したりして普段違うところで生活しているからこそできる話があり、私のなかの価値観が変わっていきました。普通に学校生活を送っているだけじゃ出会えなかったからこそ、この東北ボランティアで出会えた奇跡を大切にしたいと思いました。 次に2つ目は、現地の人との出会いです。その理由は、1日目に大島へ牡蠣養殖のお手伝いに行きました。山登りをしているときに島に住んでいる人に会ったときに挨拶をしたり言葉を交わしたり、初めて会ったのにもかかわらず私たちに優しい言葉をかけてくれました。そして、ヤマヨ水産のみなさんが「去年も来てたよね?」と私が去年も東北へ訪れたことを覚えてくれていました。たくさんの参加者がいたのに、一人一人の参加者を覚えていることに感動し、とても暖かい人たちだなと感じました。2日目にリアスアーク美術館へ行き、そこの館長にお話を伺いました。美術館には震災当時の写真や被災物が展示されていました。一つ一つの展示に物語や説明の文章が書かれていて、一つ一つの物に意味があったんだ、誰かの大切な物や場所だったんだと感じ、今自分が大好きな人たちと幸せに暮らせていることを大切にしなければいけないと感じました。 次に3つ目は、気仙沼高校の生徒との出会いです。その理由は、大人からではなく子どもから震災当時の話を聞くことによって地震や津波がきたときに私たち高校生はどんな動きをすればいいのか、避難所ではどんな支援をすればいいのかがわかります。いつ私たちの街に地震や津波がきても、この東北ボランティアに参加した私たちならきっと、街のみんなの役に立てると思います。そして色々な話を聞き、東北の街を歩いた私たちならば死人は最小限にすることが可能だと思っています。 次に4つ目は、民泊させていただいた光子さんとはるおさんとの出会いです。去年泊まったところと違いどんな人なんだろうと不安でしたが言葉を交わした時にこの人は暖かい人だと根拠はないですが、何故かそう感じました。実際に2日間泊めていただいて過ごしていくうちに根拠のない思いから確実なものへと変わっていきました。例えば、ご飯を食べている私たちに「たくさん食べなさい。」と言って幸せそうに笑っていたり、私がようかんが好きだと言ったらたくさん食べさせてくれました。それに進路の話や、家族のことや、恋の悩みなど私たちの話をたくさん聞いてくれ、本当の親のように親身になっていただきました。菅原光子さんとはるおさんはとても仲が良くラブラブでお互いがお互いのことを尊敬していてまさに理想の夫婦だなと思いました。「次来るときはパートナーを連れて来るんだよ。」と口癖のように言っていて私たちの幸せを願ってくれているんだなと感じました。こんなに良くしていただいたのに何も返せないことが情けなくて悔しいですが、大人になって一人前になったときにもう一度気仙沼に訪れて光子さんとはるおさんに恩返しをしたいと思いました。 それに去年泊まらせていただいた田村さんご夫婦が私のことを覚えてくれていて、会った瞬間抱きしめてくれました。「ずっと待ってたんだよ。今年も来てくれたんだね。」と言ってくださりずっとずっと会いたかったのでとても嬉しかったです。そして帰りに私のために作ったんだとプレゼントをいただきました。去年に出会ったことを覚えてくれていて、再開を喜んでくれて、こんなにも暖かい人たちがいる街は気仙沼だけなんじゃないかと思いました。田村さんご夫婦も「お金が貯まったら片道切符を買っておいで。帰りの切符は買ってあげるからさ。」と言ってくれてたった2日いっしょに過ごしただけでも強い絆で繋がれるんだなと感じ、人と人が出会う意味はなんなのかと考えさせられました。2度の東北ボランティアを経て、気仙沼が大好きになりました。 今年で卒業してしまうので、もうつばさネットワークを通じて東北ボランティアに参加することはないですが、私には気仙沼には4人の親がいます。絶対に4人の親に会いに行き、必ず恩返しをします。東北ボランティアを主催してくれているつばさネットワーク、参加しないかと声をかけてくれた先生、たくさんのことを学んできなさいと送り出してくれた家族に感謝し、私が幸せに過ごせていることは当たり前ではなく、たくさんの人のサポートがあるからこそなんだという気持ちを常に持ち、色々なことに挑戦する人になりたいと思いました。 東北ボランティアに参加してみて 松原高校 Toyoda Misaki 今回私が参加した東北ボランティアは宮城県に3日間活動しました。その3日間で感じたことを話します。1日目はバス生活しました。隣が北摂翼高校の子で初めは緊張して話せなかったけど宮城県に着く頃には仲良くなれてました。南三陸町をバスで通りました。山が剥げている部分があってそこまで津波が来たと聞き想像してるよりもはるかに高くて自分がもし震災当時、津波が来たから逃げなさいと言われたときあんな高いところまで来ないと油断してしまうとおもいました。防潮堤がたくさんつくられていて7年も経つのに自分が思ってるより復興してないんだなと感じました。 そのあと大島にいきました。フェリーに人生で初めてのりました。かもめがかっぱえびせんを食べに来てとても可愛いかったです。そして大島に行き長い坂を歩き始めました。登りはとてもしんどかったですが友達と歌ったり話したりしていたらあっとゆうまでした。大島につきまずお昼ご飯を食べました。お弁当をいっぱい食べて幸せでした。そして牡蠣養殖のカゴ洗いをしました。海苔とかで汚れているカゴがだんだん綺麗になっていってとてもやりがいを感じました。 その次に草刈りをしました。鎌を初めて使って使い方がわからなかったですが先生に教えてもらって使いこなせるようになりました。ミミズとか虫とかたくさんいて最初は気持ち悪かったけど作業が終わる頃にはミミズは触れようになってました。 その次に牡蠣養殖を見に行きました。牡蠣養殖では船に乗りました。船も初めて乗りました。牡蠣を養殖しているところを見ました。震災があってあまり海はきれいじゃないと思っていましたがそんなことは全くなくてとてもきれいな透き通っている海でした。牡蠣養殖のところもすごく迫力があってすごかったです。私はこんなに海がきれいになり牡蠣が育っているのを見て、きっとたくさん地元の人と助け合ってたくさんの努力をしたからこんなに素敵な場所になっているんだなと思いました。 そして民泊先に行きました。菅原光子さんはるおさんのお宅に民泊させていただきました。民泊するのは初めてでどんな感じか少し不安でしたが光子さんもはるおさんも笑顔で迎えてくれたのでホッとしました。1日目の夜ご飯は唐揚げと茄子とピーマンのおひたしと春雨サラダとフカヒレスープでした。どれもとても美味しかったです。お米を家で作っていてそのお米はいつも家で食べているお米よりも甘くてどのおかずにも会いました。はるおさんと光子さんがとても仲よくてこんな夫婦っていいなぁとおもいました。お風呂もまるでトトロの世界に入り込んだかのようなお風呂で楽しかったです。 2日目。朝6時に起床しました。朝ごはんはオムレツと納豆とフルーチェと大好きな白ごはんとなめこの味噌汁でした。朝からこんなに豪華で美味しい朝ごはんは久しぶりだったのでとてもエネルギーになりました。 そしてその次にリアスアーク美術館に行きました。東日本大震災にあったことが細かく展示されていました。ここで私が感じたことは「ごめんなさい」です。なぜなら私はこのボランティアに参加するまでとても人事で自分は経験してないし自分は何もなくしてないし関心がなかったからです。被災物が自分の目の前にあり、その一つ一つに必ず思い出があり私は言葉が出ませんでした。これは本当に日本であったことなのか、私が今いる場所でたった7年前にあったことなのかと疑いました。そして出る頃に私は「今まで自分のことじゃないから、何も被害にあっていないから、何も関心を持ってなくてごめんなさい」と感じました。 そして次に植林をやりに行きました。私はチェリーの木を植えました。海風で最後までちゃんと育つかわからないけど大きく育って欲しいと思います。次に海に行き震災で壊れた水門を見ました。私はそれを見て鉄でできていて更にコンクリートなのにこんなにぐちゃぐちゃになるんだなと思いました。 そしてはるおさん光子さんのお宅に帰りました。「おかえりー!」と言ってくださってとても嬉しかったです。そしてご飯を食べているときにはるおさんが震災の直後ボランティアとして民泊に来てくれた人との話をしてくれました。その男の人はボランティアとしてきていて帰ったあともお手紙のやり取りをしていてその男の人に家族ができたら家族と一緒にはるおさんと光子さんの家にきて七五三も一緒にして子どもがもう1人生まれるとはるおさんの春の文字を使い、ちはるって名前にして今もずっと関わりがあると聞いて震災があってから始まる出会いもあって素敵だなと思いました。 次の日の朝最後のご飯で光子さんが「みんなが帰るの寂しい」とボソッと言っていて泣きそうになりながらご飯を食べ写真を撮りました。そしてホストファミリーとの別れの時はるおさんが握手してくれて何度もありがとうありがとうと言ってくださってこちらがありがとうございますって言う立場なのにと思い何度も泣きそうになりました。そして気仙沼高校に行きました。野球部の人たちや生徒たち先生方が暖かく迎えてくださいました。グループワークで仲良くなったりして楽しかったです。 私がこの3日間でたくさんのことを学びました。私は行く前あまり楽しくなさそうと思っていましたが今は帰りたくないです。はるおさん光子さんたちはいつも笑っていてご飯が美味しい!とゆうとありがとう!みんな優しいね。こんなところまで来てくれてありがとうと何度も言っていてこちらが元気になりました。牡蠣養殖の人たちもいつも笑顔で来てくれたことにとても感謝していました。私は必ずまた宮城県に行きはるおさん光子さんたちのお宅で民泊しもっと学びたいです。 |
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| 第二日目 20180714(土) | ||
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| 南三陸町の旧防災庁舎 周辺のかさ上げ | 最高気温29度。大阪は最高気温39度。 | 気仙沼市内 かさ上げで景色が変わっている |
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| 気仙沼港 各校の代表挨拶 | 暑さ除けの頬かむり | フェリーの中は快適 |
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| ウミネコに餌をあげるアトラクション | 大興奮 | |
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| 嬌声が響き渡る | 大島浦の浜に到着 | 45分の山越えハイク おしゃべりで熊除け |
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| いかだの数も戻ってきた | まづは弁当で腹ごしらえ | 小松武さんからの聞き取り |
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| 続いて作業手順の確認 | カキかごの洗浄 | |
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| 周辺の草刈り | ミミズや虫が出てくる | でも楽しい |
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| 見晴らしもすばらしい | カキのいかだの見学 | カキかごの洗浄はつづく |
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| おかあちゃんも頑張る | たわしの威力 | 高圧洗浄機にはかないません |
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| いかだクルーズは最大のお楽しみ | 毎年同じ場所から写真を撮ると周辺の変化もなんとなくわかるようになってきました。 | |
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| 熊の取材に来られた新聞記者さん | 山越えのあとフェリーで移動 見送り、見送られの双方でテープの両端をもちます。 | |
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| 八瀬森の学校に到着しました。 | ||
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| ホスト家族とゲスト生徒がご対面。 | ||
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| この後、各家庭に移動、民泊スタート。 | ||
| 地域との繋がり 松原高校 Yutani Nanaka 今回私は東北ボランティアで行った宮城県で3日間様々な体験をさせて頂きました。そこで見たもの感じたことをまとめます。 まず1日目に南三陸町を見たことですが1年前には出来ていなかった道があったりして復興はまだ続いていることを感じました。防災庁舎はいつ見ても言葉には出来ないくらい考えされられるものがありました。南三陸町を後にし大島に向かいました。 大阪で生活しているときには船に乗って移動する事なんてほとんど無いので凄く楽しくて今でも船に乗ったときに飛んでいたカモメにエサをやったことや海風が気持ちよかったことをはっきりと覚えています。20分ほど船に乗ったあと今度は山登りをしました。大島に野生のクマが来ているという情報を聞いてもしかしたら会えるのかなと思っていたのですが会えませんでした。夏に山登りなんてしていない人からしたら「しんどそう」「暑そう」と思うかもしれませんが、私はこの山登りがとても好きでした。なぜなら夏だけど木がたくさん生えているので太陽の光を直接浴びることが少なく、鳥がときどき鳴いていて自然を感じることが出来たからです。 山登りを終え牡蠣養殖場に到着してから3つの体験をさせて頂きました。まず1つ目は牡蠣養殖で使うカゴの掃除です。正直最初はやる気が出なかったのですが、実際にやってみると同じことを続けたり、小さい作業の積み重ねが好きな私にとって最高の活動でした。めちゃくちゃ汚れていたカゴを新品のように綺麗にすることでやりがいを感じました。2つ目は草むしりをしました。津波が来るまでは庭として使われていたことを知り驚きました。草をむしるとミミズや虫が出てきて可愛かったです。そして3つ目に船に乗らせてもらって実際に牡蠣を育てている所を見に行きました。海がすごく綺麗で海の中の牡蠣が良く見えました。私は牡蠣が大好きなので牡蠣の話をたくさん聞くことが出来たことがすごく思い出に残っています。 牡蠣養殖のボランティア活動を終え大島を後にし民泊先に向かいました。去年は月立小学校の新校舎?で集合したのですが今年は旧校舎だったので驚きました。旧校舎はとても校舎が古くて味が出ていてとてもいい雰囲気だなと思いました。八瀬に住む人達との顔合わせのときに去年民泊させてもらった家族と会えて元気な姿を見れたことがとても嬉しかったです。 私は今年菅原光子さんと春雄さんのお家に泊まらせていただきました。お二人の家はとても広くてお米を自分たちで作っていることを知りました。私は民泊のご飯をすごく楽しみにしていたのでその事を聞いて更にご飯が楽しみになりました。夜ご飯をみんなで食べているときに近所に住んでいる人が長芋を持ってきてくれました。私が普段暮らしている大阪で突然近所の人が野菜を持ってきてくれても「危ないもの入ってるのかな」とか少し疑ってしまうと思います。しかし菅原さんたちが生活している所はみんなで助け合って生活しているんだということを学びました。菅原さんはお米を作っているから、近所のお米を作っていない家族に分けてあげそして逆に野菜を作っている人は作っていない菅原さんに分けてあげる。私が普段過ごす町の何倍も地域との繋がりがあるんだと思いました。 宮城県は大阪府に比べると都会ではないと思います。「田舎だから」という理由で都会の人は田舎に住んでいる人をバカにした言い方で話しているのをよく耳にします。「周りに山しか無い」「近くにコンビニとか大きなスーパーも無い」などみんな都会に住む人は田舎に「無い」ものを馬鹿にします。しかし都会にも「無い」ものはもしかしたら田舎よりもあるのではないかと私は思いました。確かに徒歩5分で最寄り駅があったり大きな病院やスーパー、コンビニがあるのは便利です。しかし便利すぎるせいで都会に住む人は「地域との繋がり」がほとんど無いと私は思います。だから普段地域との繋がりがほとんど無い生活をしている人が田舎にいくと温かい気持ちになれるのは昔は当たり前のように感じていた繋がりを感じることが出来るからだと私は今回思いました。 東北ボランティア2日目はまずリアスアーク美術館に訪れました。昨年もリアスアーク美術館には訪れたのですが写真や被災物を見るといつ見ても、何度見ても考えされられるものがあります。時間を戻して亡くなった人の命を助けることはどうやっても私には出来ません。だからこそ、津波や地震が人の命や大切な家や大切なものを奪っていったことを知った私だからこそ私は行動しなくてはいけないと思いました。その行動が具体的にどんなものなのかまだ分かりませんが、もしかしたらこのことを知ったことも1つの行動なのかなと思います。しかし知るだけで終わらせないようにしたいと思います。 その後海べの森をつくろう会の活動に参加しました。木を植えるとこでそして植えた木を育ててくれる人がいることで人の命を救うことが出来る。東日本大震災のときに木に登り実際に助かった方もいること、この活動でも私は人との繋がりを感じることが出来ました。2日目の活動を終え夜は光子さんと春雄さんと話したり、春日丘高校の2人とたくさん話したりしました。初めは春日丘高校の子とはあまり話さずに民泊を終えるかなーと思っていましたが1度話してみると夜のテンションもあり話が止まりませんでした。 最後は2つの布団で4人で寝たくらい仲良くなることが出来ました。これはボランティアに参加していなかったら絶対出来なかったことです。3日目の朝は光子さんと春雄さんとお別れをしました。お別れするのはすごくすごく悲しくて泣きそうになりましたが、絶対また会いに行くと約束したので泣きませんでした。最後の活動は気仙沼高校との交流会でした。大阪から来た私たちを温かく迎え入れてくれてすごく嬉しかったです。生徒会の人が頑張って進行を進めてくれてことや、野球部の人が「カバン持ちます!」とか「大丈夫ですか?」と声をかけてくれたり場を盛り上げてくれたりしてすごく楽しかったです。野球部の2人に震災当時のお話を聞かせてもらうときも嫌な顔ひとつせず話してくれたときは本当に嬉しかったです。 宮城県で人との繋がりや人との出会いは人の心を動かしたり人の心に残り続けるんだということを心から学ぶことが出来ました。 2018気仙沼:松原高校 Nasu Satsuki 今年で2回目の参加となった東北ボランティア。去年とどのような感じで気仙沼の街が変わったのかを見るのをとてもワクワクしていた。その反面一緒に行く北摂つばさと春日丘高校の子たちと仲良くなれるのか不安もあった。そして迎えた出発日去年参加した子も中にいて安心で興奮が止まらなかった。14時間と長いバスでの車中泊で少し疲れが出たが南三陸町の町並みを見て変わっていた風景に驚きが隠せなかった。至る所に嵩上げ作業がされていた。嵩上げをしてももともと住んでいた人は戻ってくるのか、その人たちはそれでいいのかという自分の中の疑問ができた。南三陸町の町をバスで移動し大島へ行くフェリー乗り場へ行きそこでも驚いたことがあった。気仙沼市と大島を繋ぐ橋が来年にも完成しフェリーの運行が廃止されることだった。中々フェリーに乗る機会のない私にとってはフェリーに乗ることは貴重な経験でもあるしフェリーでカモに餌をあげた楽しい思い出も無くなるふと思うと悲しくてたまらなかった。だからこそ今年は沢山カモたちに餌をあげた。大島へ着き山登りをした。同じ学校の子と学校の話をしたり震災の話をしてなんとか40分の山登りを頑張った。カキの養殖場についてお弁当を食べそこから牡蠣を入れる籠をみんなでタワシや高圧洗浄機を使って洗ったなかなか細かいところは汚れが取りにくく大変だったけど綺麗になった籠をみて集中してやってられるなと思った。それから草むしりをしてから実際に船で牡蠣養殖をしているところまで行った。震災後から今に至るまでに多くの時間と費用などかかった話を聞いた。その話を聞いて私は自分にできることはしたいと思った。短い時間だったけどこまつさん家族と話せたことが嬉しかった。そして気仙沼に戻りいよいよ民泊。よしださんの家で盛大なおもてなしを受けてから菅原さんの自宅へ行った。行く道中はアトラクションに乗っているような感覚だった。お菓子や飲み物などを出してくれて孫のように私たちを迎えてくれた。山登りをしてくたくたになり1日目を終えた。1日目の疲れと一緒に迎えた2日目。起きた瞬間体の節々が筋肉痛。朝から豪華な朝食を食べてリアスアーク美術館へ。ここは何回来ても考えさせられる場所。写真と横に書いている言葉にはチカラを感じる。今年は美術館の人に沢山質問をし明らかになった当時と今の現状を聞くことができた。震災について目を背けることは大人が決めることじゃなく子ども自身の思いといることだ。子どもたち自身が知りたいのならとことん知るべきであり伝えるべきだ。大人の勝手な判断で子ども自身のやりたいことを失うのはおかしい。その館長さんの言葉に私は圧倒された。私は現地に行き知ったからには伝えたいと思った。そこから移動しやってきた炎天下の中での植林活動。去年自分が植えた樹林の苗がどのくらい成長しているかワクワクしていたが海からの潮風によりほとんどの樹林ダメになっていた。しかしその中でも生き残っている樹林もあった。今年はグミの木植えた。絶対に枯れることのないグミの木。来年は個人で行ってその成長を見たいと感じた。そのあと海岸沿いを散策。去年は少なかった海水浴場の観光客。今年は近隣の県から来ていた人が多くウォーターボートなどで楽しんでいる人が多かった。自分の想像を絶するくらいの津波が襲ってきた話や人々を救った欅の木の話などとても濃い時間だった。所々にあった嵩上げ。これからこの町はどうなっていくのだろう。 そしていよいよ最終日。気仙沼高校の人たちとの交流。今年は野球部にフェンシング部の多くの人たちと生徒会の人たちに出迎えられた。去年とはまた違うメンバーとの交流会この三日間で1番人と関わることができた。とても短い時間であったがとても楽しかった。この三日間を通して色々な出会いがあり楽しいことがあった。1日1日がとても早く感じ普段の生活ではすることのできない経験が沢山できた。行ったからこそ分かること行ったからこそ考えることのできたそんな時間この経験はきっとこれから私の人生の宝になるであろう。北摂つばさ高校・春日丘高校・松原高校の3つの高校で助け合いそして宮城県の出会った人たちのおかげでできたこのボランティア活動。私は今年で最後の参加になってしまい来年もまた行きたい気持ちでいっぱいだ。この貴重な経験と貴重な体験を後輩たちにも味わってほしい。出会った人たちに感謝の気持ちでいっぱいだ。笑いあり涙ありの旅が今終えようとしている。これから新たに始まる報告会を頑張って行こうと思う。1人でも多くの人に正確な情報が伝わるようにそしてこれからの未来の為にも取り組んでいこうと思う。これからも続くように大阪と宮城の繋がり。つばさネットワークで自分の出会いと経験が増えたように来年参加した子たちも同じように出会いと経験がふえていきますように。そしてこれからも続きますように。 2回目のボランティアを通して 春日丘高校 Wada Nanase 私は東北プロジェクトへの参加は2回目で、今回は1回目とは違った視点で東北を見ることを大事にしたいと思います。事前に、今回のボランティアを通して考えたいなと思っていたことは2つあり、1つ目は震災の被害、現状「伝える」ということの意味、2つ目は被災地に本当に必要なものです。特に被災地に必要なものを見るなり聞くなりして自分でよく考えることで、「将来どんな仕事が必要になるか」など、未来の社会へ役に立つような知識や考えを得られる機会にしたいと思います。 牡蠣の養殖場がある大島に向かう道で、津波で甚大な被害を受けた南三陸町を通りました。去年初めて南三陸を訪ねたとき、私は瓦礫だらけで全く復興が進んでない、というイメージで行ったので結構復興は進んでいるなと感じていましたが、今年訪ねてみて、通路等は変わっているものの、盛り土の上に街並みがあることもなく、まだまだ人が住むには時間がかかりそう、いつまでかかるんだろうと感じました。この変化の度合いは、複数回訪ねてみないとわからないものだと思います。 今日聞いた話で、盛り土をするのにも土を所持している人の許可がいるのでなかなか進まないこと、盛り土の上に住宅を建てても、地盤が緩い、怖い、家賃が高いなどの理由で入居者が増えないことを聞きました。国の制度の問題、人々の意識の問題など、復興のためには壊れたものを直す、片付けるなどの人手の問題だけではなく、その他色々な問題を乗り越えていく必要があるんだなと痛感しました。 大島に着いて、牡蠣の養殖を実際に見せてもらいました。牡蠣を育てるのには、3年ほどかかり、くっついている他の貝の駆除など、ケアが欠かせないそうです。相当な苦労をして育てているのに、牡蠣を育てる土台のいかだがそれもろとも津波で跡形もなく全て流されてしまった、と聞きとても辛かっただろうなと感じました。 その後、色んな人の話を聞きました。特に印象に残ったのが坂口さん夫妻のお話でした。被災地に来ただけで「来てくれてありがとう」と涙を流したおばあさんの話、坂口さんが「忘れられるのが一番怖い」とおっしゃられたこと。はじめに考えたいこととして挙げた伝えることというのは、誰もに震災のことを思い出してもらって、少しでも被災者の方々の気持ちが救われるように、という意味もあるんだろうなと思いました。 リアスアーク美術館では、去年より多く時間があり、じっくり見ることができました。この見学を通し、次来るかもしれない津波および災害においての対抗策として、私たちが今すべきことを考え直さないといけないなと思いました。津波から人を守るものといえば地面のかさ上げ、防波堤作りなどのインフラ整備というイメージが大きいですが、本当にそれが人を守るのに最大限に効果を発揮するものなのでしょうか。 「この三陸では、40年ごとぐらいに津波が起こる。その度に、家を直し防波堤を作ったりしているが、すぐに津波が来て人が流されるなど被害にあってしまう。」展示員の山内さんはおっしゃられました。この地には、高い頻度で津波が来ている。その度に被害を受けて、それなのに、いざ地震が起こった時にその時の教訓を生かせない。7年前の大震災の時も、「防波堤があるので安全だから」と人間たちの科学技術に慢心しきっていたのです。 ショベルカーで土を盛って、建物を元に戻す。それが私はそれがまさに復興だと思っていたし、実際にそれは大規模に行われています。しかし、それは未来永劫続く復興なのでしょうか。元どおりに戻った街で、もう一度一回り大きな大津波が来たとして、また街ごと流されてしまうことがあったら、「土地も高くなって安心していたのに、こんなことになるなんて思わなかった」と、人々は大きな落胆に襲われるでしょう。 「自然災害には、決して人間は勝てない」それを知った上で、どうやって自然と暮らしていくか。かといって自然の猛威の前に屈することのないよう、私たちがいつでも起こり得る災害に対応できるよう、何を準備すべきか。それを過去のことから学ばないといけません。そう考えた時、被災地に本当に必要なものとはなんでしょうか。避難時間を1分1秒でも伸ばす堤防も然り、津波が起きたという過去や悲惨さを伝えていく防災教育をするための施設、それを作るためのお金や制度など、他にも力を注ぐべきところをもう一度見つめなおして見るべきだと思いました。 午後からは植林活動をしました。津波に流された時、大きな木に捕まって助かった、という事例もあるように、木の強さは、自然の猛威に対抗し得ます。人間たちが自然を守ることで、津波が起こった時に木という自然に助けられる、これも自然との共存の形なのだろうなと感じました。 二日間泊めていただいた民泊の方とお別れの日になりました。地域のことを色々教えてくれたり、美味しい地元料理を作ってくれたり、親切にしていただきました。民泊など、地域を活性化する活動をして人を集めることで復興に繋がると民泊の方は言っておられました。そのような行動力に感服したし、私も見習いたいなと思いました。 その後、気仙沼高校との交流をしました。久しぶりに会ったのに、覚えていて手を振ってくれていた人もいて嬉しかったです。このような活動を通して、縁を作っていけるのはとてもいいなと思いました。 今回のボランティアを通して、最初に立てた目標、 ・震災の被害、現状「伝える」ということの意味 ・被災地に本当に必要なもの をよく考えることができました。 「伝える」こと、言い換えるとそれは「知ること」、「忘れ去られないようにすること」です。私たちは、東日本大震災を大変悲惨な過去だと忘れ去ってしまうのでなく、そこから学ばなければなりません。地震の時にどのようなエピソードがあって、どのような人が助かったのか。結局地震に防波堤、もとい人間は勝てなかったこと。それを知っているか知らないか、わかっているかわかっていないかで、もし津波が来た時の生死に直結します。 「伝える」には、実際に来てもらう、メディアなどを通して見てもらう「教育」が必要になります。防災教育を行うことで、1人でも被害者を減らせるのなら、防波堤などを作る街の整備等にかけるお金や、労力をもし防波堤が越えられてしまった時のために、そちらにも使うべきです。でも国の制度などの問題でなかなかうまくいかない、というのが現状です。 そのような、伝えるために施設を作る、そのために国の制度を変えるなどという大規模なことは私にはとてもできたものではありません。身近な人に、今日学んだことを伝える。それが、私たちにできることだと改めて深く感じました。 気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校 Hashimoto Rei 私は高校3年生にして今年が初めてで、最初で最後の気仙沼ボランティアに参加しました。 行く前は何度も説明会のようなものが開かれて、事前準備がすごいなと言うのが強い印象でした。最初に班分けや、宿泊先の人を見た時、知らん子ばっかやんって思って、完全アウェーやなと思ってたけど、班の2年生の男の人たちはみんな気さくに喋ってくれたり、なんか持ってってゆっても全然持っててくれたりほんまに優しい人たちやなと思って、まだまだつばさには優しい男の人がおるんやと思った。民泊先が同じやった春日丘高校の人たちは、まだ2年生やのに泊まらせて頂いてる事をしっかりわきまえていて積極的にお手伝いもしていた。私が去年の修学旅行で民泊をした時もあれくらい役に立てていたのかな?と思ってしまった。 行きのバスでは初めて長時間乗る事を経験したけど、14時間も座り続ける事は自分が想像していたよりもはるかに過酷で、厳しいものだった。座り続けてお尻が痛いだとか、座りながら寝るから首や足が窮屈だとか、色んな事に気を遣って過ごすのはシンプルにしんどかった。普段、当たり前のように横になりながら足を伸ばして寝ていることや、柔らかい枕がある事の有り難みは民泊での1日目の夜に身に染みて感じました。パーキングエリアで止まるたんびに降りて息抜きしてたけど、それでもきつかった。今も、まだ始まったばっかりやけどこれからきつくなるんかと思うと言葉にできひんくらいきついものがある。 気仙沼に着いて1日目、大島に行って牡蠣の養殖がどんなものかみたり、草刈りをした。私は初めに草刈りを担当したのですが、その時、大阪では滅多に見いひんでっかいミミズって言っていいんかも分からんような虫やゴキブリみたいな虫がいっぱいおった。その虫たちを見た時、私は思わず気持ち悪いとしっかり言ってしまったのですが、その際に佐藤先生が「虫も生きてるんや。」と言っていてああーってなった。 船に乗って牡蠣の養殖の現場を間近で見れたときは「ああー!よく見るやつや!!」ってなって初めてあんなに近くでいっぱい着いてる牡蠣を見ることができて嬉しかった。まだ育ちきってない牡蠣は色んなプランクトンが付いていたりして牡蠣小屋の中で見る牡蠣とは違って、少し汚れているように見えた。最初に海から引き上げるとき、熱湯の中にたくさんの牡蠣を入れて微生物などを熱で殺すといっていたのですが、その熱湯を入れる箱がものすごくでかくて、私は163センチも背があるのに、背伸びしないと中が見えないくらい大きな箱やった。 そのあと、コマツのおじいちゃんが牡蠣を1つ取ってみんなに見せてくれた時、その牡蠣にはちっちゃいクラゲとかついててそのクラゲ押したら中から水飛ばしてきて気持ち悪かった。おじいちゃんが取った牡蠣は巡り巡って橋本の手に渡ってきて、牡蠣が大好きな橋本は自分の為に牡蠣を海で洗い、余分な汚れを取り、大事に持っていました。陸についた後は牡蠣を食べることだけ考えていたので、コマツのママさんとおばあちゃんに1個ある牡蠣を蒸してもらった。籠を洗ってる最中もずっとソワソワしながらタワシでこすってた。洗ってる途中にコマツのおばあちゃんが来て、牡蠣できたよってゆってくれた時はほんまに嬉しくて、疲れてる時に好きなもの食べれるのってこんなに幸せなんやと思った。小屋の中に入って牡蠣もろたとき、コマツのおばあちゃんは牡蠣くれただけじゃなくて、ジュース出してくれて、お菓子まで好きなもの取っていいよってゆってくれた。心の底から優しくてゆっくりして言っていいよって何回も言ってくれた。「1人だけ食べて大丈夫かな?」って心配してくれる程優しくて、でも橋本が呑気に食べてる間に北つばの2年生のカマタくんに見られてしまっていたらしく、戻ったらみんなに白い目で見られてしまった。やっぱりみんな牡蠣が食べたかったみたいやから聞いたらよかったなって思った。おじいちゃんがくれて、おばあちゃんが蒸してくれた牡蠣は、おじいちゃんは小さいよって言ってたけど、ものすごく大粒でプリップリの身ですんごい美味しかった。大阪の牡蠣とは全く違っていて、本場やったらこんなにも大きい牡蠣が食べれるのかと感心した。 船に乗ってる間はかっぱえびせんもろて、カモメの餌やりもした。カモメ達は目がまじでとてもギラギラしてて恐ろしかった。民泊先では一食一食考えられていて、特に2日目のカツオづくしは本当に美味しかった。おにぎらずの中に入ってる具もカツオで私はそのカツオのおにぎらずが好きやなって思った。関西人やけど味濃いのが好きやから強めに味付けされたあのカツオが本当に美味しかった。次行った時も作ってくれたらいいなと思います。止まってる間もお皿洗いとか配膳とかちゃんと役に立つお手伝いができて、ただの居座ってるだけの高校生にならんくてよかったなと思った。2日目に家帰る時も笑顔で迎え入れてくれて居心地いいなあと思いながら過ごしてた。 めっちゃ話飛ぶけど、今年の3月に気仙沼高校の方や登米高校の方を受け入れた時、橋本は部活の関係で参加できなかったので皆さんに会うのは初めてでしたが、初対面の人のキャリーケース運んでくれたりしっかり目を見てあいさつしてくれるところなど学校生活の中で礼儀やマナーを教わっているんだなと思った。野球部の方だけでなく、執行部(?)の方も常に下からこちらを敬ってくれるその姿勢が本当に素敵でいい方々だなと思いました。 橋本は今年が最初で最後のボランティアなのですが、ボランティアが終わった今となっては1年生の時も2年生の時も迷わず行けばよかったなと心から思いました。来年から行く今の1、2年生でも次の新しい1年生にももし迷ってる子がいたら率先して参加してくれることをオススメできるくらい、楽しいだけじゃなく、勉強になるボランティアでした。気仙沼のために少しでも力になれるお手伝いができて本当に良かったです。 気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校 Nishijima Knon 私は気仙沼のボランティアに初めて行きました。宮城県に初めて行ったけどとてもいいところでした。 1日目はカキの養殖所に行きました。そこでカキを入れるかごをタワシでこすって水でこすりました。めちゃくちゃ汚れていたのですごく腹がたちました。次の作業は草むしりをしました。きれいになった時はとても嬉しかったです。最後の作業はかきを育てているところに行きました。全部手作業でしているところがすごいなあと思いました。そこでアイスの差し入れをくれてとても嬉しかったです 。終わった後民泊の家に行きました。民泊の家のご飯がとても美味しくていっぱい食べ過ぎてしまいました。きゅうりの漬物がとても美味しかったです。民泊先の家に犬と猫と亀がいてとても可愛かったです。犬の散歩をして自分の家にも犬が欲しくなりました。猫もとても可愛かったです。亀も可愛かったです 二日目は東日本大震災の被災物が展示してあありました。どんだけ被災したか学べとてもショックでした。美術館でてから草むしりをしました。花の球根を土に入れる作業をしました。そこから民泊先の家に帰って犬の散歩をしました。とても力が強かったけど可愛かったです。夜ご飯の手伝いをさせてもらいました。家でもしてそうなしていなかったから家に帰ったらいっぱいしたいと思います。 3日目は気仙沼高校に行ってつばさネットワーク交流会をしました。気仙沼高校の野球部の人と生徒会の人で交流会をしてとても印象に残りました。お菓子を食べながら交流会をしました。とてもいい経験をさせてもらってすごく嬉しかったです。自己紹介をして声がすごく小さかったです。なのですごく自分を攻めました。 海のうちで友達と水泳部の先輩たちにお土産を買えてとても嬉しかったです家族にお土産を買おっかというといらないって言われてとてもショックでした。宮城県の人たちはととっても優しくしてくれてとても嬉しかったです。来年も気仙沼のボランティアに行きたいなあと思いました。気仙沼のボランティアに来て初めてのことをしてとても嬉しかったです。二年生になってもボランティアに行きたいと思いました |
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| 第三日目 20180715(日) | ||
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| 月立小学校で集合の後、健康チェックで問題なしを確認して、バスで移動。 | リアスアーク美術館 | |
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| 階上地区へ移動。 | 海辺の森を作ろう会 | 菅原信治さんからの聞き取り |
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| 添え木にくくりながら苗を植える。 | 日光が当たるように除草も欠かせない。 | 慣れない手つきで試行錯誤。 |
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| うまくいきました。 | おかあちゃんも頑張る | いい感じです。 |
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| こちらもいい感じです。 | こちらも。 | |
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| 男子は大きな添え木を巨大トンカチで打ち込む | ||
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| ひたすら除草をつづける | ||
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| 花壇に花を植える | ||
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| ひたすら除草を続ける | ||
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| 左の木は、流された人7人が掴まって助かったという木です。 | ||
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| 民泊先での食事。朝とれた野菜が並びます。 | ||
| 第四日目 20180716(月) 第五日目 20180717(火) | ||
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| 月立小学校での集合写真。ホスト家族ともお別れです。 | ||
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二泊を過ごしたホスト家族のみなさんと 距離感が近くなりフィットしてます。 |
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気仙沼高校での交流 |
| ニューヨークに行く5人のメンバー | 同じ5名と教員2名と気仙沼高校小山淳校長。 | |
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| 生徒会からの募金の贈呈。 | 野球部からの募金の贈呈。 | |
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| がんばろう!つばさネットワークからの募金。 NYへ行く千葉友裕さん、坂口一美さん、千田健一先生。 回を重ねて10回目となりました。 | ||
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| 気仙沼高校正門の見送り | 第五日目 20180717(火) | |
| 海の市にホスト家族が写真を届けてくれました。 | 坂口一美さんの講評の後、振り返り入力、解散。それぞれの学校での授業に向けて移動です。 | |
第10回気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校 Kimura Honoka 今回の気仙沼ボランティア活動ではたくさん学んだことがあります。一日目は、バスで移動しました。家族と会えないのが辛かったけど、これも一歩の成長なのかなと思って、泣くのをこらえました。実はバスの中で一睡もしてません。なのでとても辛かったですが、実際震災にあった人たちのほうがしんどいと思ったので辛さなんて消えていきました。バスの中でアドバイザーさんの話をたくさん聞きました。聞いててしんどかったですが本当にあったことは逃げることができないのでしっかりと聞きました。 その後先生からかっぱえびせんをもらいました。もらった後フェリーに乗って移動しました。かもめたちがすごく可愛かったです。かっぱえびせんに飛びつくかもめたちを見て、私の中の不安と緊張と辛さが消えていきました。フェリーで楽しんだ後山登りをしてカキの養殖場に行きました。私の家が山みたいなところにあるので山登りなんて苦ではありませんでした。山登りの時に小松さんに「将来の夢ってあるの?」と聞かれ「声優です。」と答えたら「頑張ってね!」と言ってくださったので、すごく嬉しかったです。 いろんな話をしてたらカキの養殖場がありました。見たことのないものがたくさんあったのですごく興奮しました。弁当を食べ終えたら、ボランティア活動が始まりました。一番最初は、カゴ洗いでした。これは根気がいるなと思い頑張りました。次は草刈でした。虫がいっぱいいて怖かったけど、すごく頑張りました。終わった後の達成感がすごかったです。 最後は船に乗ってカキなど見ました。私たちを乗せた船はどんどんどんどん加速していきました。すごい速度で走る船に私は興奮しました。小松さんは、カキを触らせてくださいました。貴重な体験ができて良かったです。ボランティア活動が終わったら皆でフェリー乗り場に戻りました。帰るときに小松さんはかっぱえびせんを配ってくださいました。その時に「声優頑張って!」と言ってくださいました。なきそうになりましたが最後くらい笑顔でお別れしたいなと思い、満面の笑みでお別れしました。 つぎはバスで月立小学校へ移動しました。民泊の方々がお出迎えしてくださいました。私はすごく人見知りをするので、緊張してました。同期のメンバーと離れるわ先生と先輩しかいないわで辛かったです。ですが民泊の方は優しくしてくださいました。やることがなくてポケーっとしてたらちゃんと指示してくださったので助かりました。次は自分から行動を取りたいと思います。 一日目の夜ごはんはカレーライスでした。すごい美味しかったです。ほかにもスイカ トウモロコシ サラダ おでんなどいろんなご飯がありました。心もお腹もいっぱいになりました。皆が一息ついた後花火をしました。松原高校の先輩の線香花火が上手でした私は色の変わる花火が楽しかったです。寝るときにいつもはうるさい虫がここでは心地よかったです。2日目は朝ごはんまですごい豪華でした。梅干しご飯に卵かけごはんに納豆ごはんにヨーグルト。もう一回でいいから食べたいです。ご飯も食べ終わり万全な状態で月立小学校を出発しました。 その後リアスアーク美術館にいって、東日本大震災当時の写真をみました。どれも見ててつらく目を背けてしまいたい写真がありました。ですが一番目を背けたいのは当時の方々だと思います。12時からは気仙沼市階上地区にて木を植える作業をしました。私の植えた苗が次来てるまでには立派になってるように願います。実はまた草刈りをしました。全然嫌じゃなかったです。むしろ草刈りの方が楽しかったです。ボランティア活動が終わったら皆で八瀬に行きました途中でお墓がありました。皆で黙とうしました。その他、被災した建物がありました。それを見たら何も思うことができずひたすらそれを見つめてるだけでした。その後5分の自由時間がありました。貝を拾いました。その貝は妹とおそろいです! 夕方民泊の方々のところに行きました。なんとその日の夜ごはんも豪華でした、鰹のお刺身でした。そのほか素麺 トマトなど全てが美味しかったです。3日目の朝ごはんも豪華でした。逆に申し訳ないなと思いましたが食べて―と言われたのでたくさん食べました。朝民泊の方々と離れるのが嫌でした。悲しかったですが、来年も会いに行くんで私の成長ぶりを見ていただきたいなと思いました。次は気仙沼高校の方々との交流会でした。また人見知りが出ておしゃべりができませんでした。お昼は海の市で買い物をしました。可愛いものがたくさんありました。友達とイルカのチャームのおそろいをしました。家族にふりかけをあげたら凄い速さでなくなってました。 今回の気仙沼ボランティア活動では皆で協力することを学びました。実はコレ自分のおこづかいで行ってるんです。自分のお金っで行くってこともあったのですごい楽しめました。2年生になっても絶対に絶対に行きたいなと思いました。この5日間無駄ではなかったです。ありがとうございました。 東北ボランティア 松原高校 Naka Emika 今年の頑張ろうつばさネットワークは知ることの重要さに改めて気づくことができた2泊5日でした。 リアスアーク美術館で館長の方の話に「決して他人事だと思ってはいけない」という話しをしていただき、私は6月に大阪で起こった地震を思い出しました。私が住んでいたところは大きな被害はでなかったから「ここは大丈夫」とか「マンションやから大丈夫」とか根拠もなく安心していました。ツイッターで回って来る情報だけで判断して自分で調べることはしなかったしなにか逃げる準備をするわけでもなかったし地震のことを知ろうとしていなくて危機感を持っていなかったことにきづきました。でも館長の方の話を聞いて、その地域の歴史を知ることで震災の原因がわかり被害を最小限に抑えることができるということを学ぶことができました。去年と今年で2年間東北に来て自分にできることは何か見つけたいこれからも考え続けたいと思っていましたがリアスアーク美術館に「現実を知ってしまった責任、未来への責任」という言葉が書かれていて私はこれを読んでずっと無責任だったかもしれないと思いました。 リアスアーク美術館にはたくさんの言葉が書いていて展示されていた被災物には持ち主の被災物に対する思いが書かれていることでどんなに泥まみれになっていても焼けて原型がなくなっていてもどれも思い出深い日常だということが分かりました。そして館内には記録や表現、支援など他にもさまざまな言葉が解説とともに書かれていました。その解説にはもっと事前に防ぐことができたのではないかというようなことや被災者の強い思いなどが解説の一部として書かれていて日常を取り戻したい思いを強く感じることができました。 植林活動の職員の方にお話を聞いて「生きる」ことについて知りました。私は大きな災害を経験したことがありません。だから災害が起きても逃げるときにきっとペットや家族、友達と一緒に逃げるという意識がありました。でも職員の方は「自分の安全は自分で守る。みんながそうすればいつかどこかで見つかるかもしれない」と言っていました。私はこれを聞き、自分でどのようにして逃げるかどんなものを持って逃げるかどこに逃げるかを考えて判断しなければならないということ、みんなが生きるためにはまず第一に自分を守らなければならないことに気づくことができました。その判断をするためにはやっぱりその地域の地図を見たり歴史を知ったりすることが必要だと教えてくれました。 民泊では光子さんとはるおさんにお世話になりこの二人と過ごしていると笑っていることばかりでした。私たちのようなボランティアで福岡から東北に来た人が光子さんとはるおさんのお家に大人になって子どもや奥さんを連れて会いにくるという話を聞いて、そんなに遠くからでも会いに来たいと思えることってすごいことだと思い溢れる愛を感じました。そして話を聞いてもらい聞かせてもらったりして楽しくお喋できたことやたくさんの気遣いをしてもらって私も愛を感じることができ、また会いに来たいと思いました。光子さんとはるおさんにもらった愛は私にとってとても大きな経験になりました。また会いに行くことが私のできることだと思いました。 そして気仙沼高校の方達や牡蠣養殖の工場のお父さんが1年経った今でも一緒に話したことや写真を撮ったことを覚えて声をかけてくれたことがとても嬉しかったです。気仙沼高校では学校に入るときも帰るときも元気に挨拶をしてくれたり荷物を積極的に持ってくれたり自分たちのためにたくさん走り回ってくれているのを見て人が人を思いやる優しさや暖かさをたくさん感じることができました。そんな思いやりを感じた東北ボランティアにはもう参加することはできないですがどんな形であれこの東北で出会った方々にもう一度会ってお話出来るようにまた東北に戻ってきたいと思います。 自分の住む大阪が震源地で大きな地震災害があったこのタイミングでこの頑張ろうつばさネットワークに参加することは、私にとってこれからもしかしたら自分の住むところで起こるかもしれない災害に対して危機感を持てるような機会になりました。 2度目の被災地で学んだ事 春日丘高校2年 Yata Yuuna 明日から実際に被災地を訪れるにつき、つぎの2点を意識して活動をしたいと考えています。 1つは、被災者とは誰のことなのか、という疑問についてです。6月の大阪地震によって近畿地方に被害がでました。断水やガスが使えなくなったり、家に住めなくなった人もいました。ライフラインに影響が無かった人も、家具が倒れたりしすることによって怖い思いをしたはずです。エレベーターに閉じ込められた人などは、もう二度とエレベーターに乗ることが出来なくなるかもしれません。そこで私は思いました。被災者と呼ばれる人達は誰なのか?今まで私が聞いたことのある被災者とは、家族や家や生活の一部を奪われた人たちでした。そういった人々しか被災者と呼ばれないのか疑問です。 2点目は人との繋がりを意識することです。前回の東北の訪問からのこの一年間、新たに繋がった人々により、沢山の学びを得ることが出来ました。だから色々な境遇の人と知り合えるこの三日間は自分の学びのために有意義に過ごしたいです。今ある繋がりは更に強く、今は無い繋がりは新たに作っていきたいです。 2日目は、大島の小松さんの牡蠣の養殖場にお邪魔ささせていただきました。そこにいく道中では、新しい建物がかなり増えていることに気づきました。 フェリーの乗り場の港や新しい住宅ができていました。復興作業が進んでいることを実感できました。しかし、震災から7年経ってやっと建物がまばらにできてきていないということです。私が小学校四年生から高校二年生になる間にやっと建物を建てはじめている。震災からの復興にはかなりの時間がかかるということを理解しました。また、まだ蝉の鳴き声が聞こえないことも、ここが被災地であるということを表していました。 私は東北に来る前に友人に、「まだ東北に行くの?まだ大変なの?九州に行った方がいいんじゃないの?」と言われました。この言葉には納得できるところもありますが、東北が復興しているという考えは間違っています。それに、「忘れられるのが一番怖い。」と言った被災者の方もいるように、震災は次第に忘れられがちです。しかし、ここで今すぐボランティアが必要な九州に皆が行くと、前の災害である東日本大震災のことを意識から外してしまうでしょう。そうすると被災者の方が言ったように皆が東日本大震災のことを忘れてしまう、ということになりかねません。だから、今こそ行くべきだと思いました。2日目の活動で学んだ一番のことは、自分たちは震災の記憶を失わせないために今被災地を訪れている、ということです。 3日目はリアスアーク美術館と岩井崎に行きました。そこで学芸員さんの山内さんに言われた「大阪地震に対する反応が無さすぎる」という言葉が一番衝撃的でした。確かに、ついこの間に自分の身に起こったことなのにあまり意識していなかったからです。山内さんはこうも言っていました。大阪地震も九州の豪雨もおかしい。人の勝手な営みによって災害になってしまったんだ」と。私は改めて自分がいかに自然の力を侮っているかに気づきました。昨年に東北を訪れて少しは分かっていたはずなのにです。 それに、展示されている文章を読むと、津波がくることはわかっていたはずなのになぜここまで被害が出てしまったのか、という後悔を感じさせる文章が多くありました。やはり、大きな災害を自身で体験するまでは危機感が湧かないということを知りました。それは今の私も同じで、たかが電車や水道やガスが止まる程度の地震だと思って安心してしまっています。九州の豪雨は他人事だと思ってしまっています。まさか自分のいつもの生活が壊れるなどとは思わず、安心しています。それが自然現象を災害にしてしまっているのです。それに気づいた私は自分がどう生きるべきか考えなくてはならないと痛感しました。見学後の植林活動では、過去の事実を受け止め、難しい活動を続ける大切さを知りました。 岩井崎の見学では、実際に被災した建物の遺構を見ることが出来ました。昨年の高田松原の遺構と同じで、最も恐怖を感じやすく現実味のあるものでした。まさに今まで自分に都合よくイメージしていた東日本大震災の現実を叩きつけられたような。それは私の想像をはるかに超えるほど津波の力を表していて、自分がいかに震災当時のことを甘く考えていたのかを思い出させられ、同時に恐怖を覚えました。 自分がこれからどう生きるべきかという問題に対する今日を通しての考えは、自然の力を甘く見ずちゃんとできる限りの対策を個人で打っておくということです。しかし、これは普段から言われていることであり、出来ているはずのことであるのも確かです。それに皆が気付いて行動できれば、災害は減るはずです。 4日目は気仙沼高校にお邪魔させていただきました。昨年は他校の生徒さんとあまり積極的に話せなかったので、今年は色々な人と話そうと考えていました。手始めとして、去年顔見知りや知り合いになった他校の先輩方に話しかけてみました。名前を呼び、笑顔で話しかけると快くそれに応じてくださいました。話の中で、お互いに話しかけたいが相手が覚えているかどうか不安で話しかけられなかったと思っていたことが分かりました。人と付き合うのはとても気を使う難しいことで、しかしそれでいて意外とお互いに思い合っていることが学べました。しかし、交流会では同じ班に春日丘の生徒が多かったこともあり、気仙沼高校の生徒さんとは多くは話せませんでした。席順や顔の向きや話を聞く優先順位に気をつければもっとよくなったと思います。気仙沼高校の校長先生のお話のなかの「相互に絆を深め合う」という言葉も心に残りました。 私はこの旅行で2つの目標を立てていました。1つは被災者とは誰かという疑問の答えを見つけること。リアスアーク美術館でこの疑問に対応する説明がありました。しかし、それは被災者とは怪我をしたり家や家族、職を失った人々である、と書いてありました。それはあまり私の求めているものではありませんでした。 2つは人との繋がりを深めることでした。昨年知り合った先輩方と話せたり、ホームステイ先で昨年よりも楽しく話せたりしたことで繋がりの深め方を少し学べました。ここでの学びをこれからの人との付き合い方に生かしたいと考えます。 この旅行は昨年とは違った学びがたくさん得られた旅でした。復興の工事のスピードに常に驚かされ、また色々な人の考え方を知ることができました。1つ残念だったのは、津波の被害にあった土地では未だ蝉の鳴き声が聞こえなかったことです。数年後、蝉の声の聞こえる気仙沼を訪れたいです。それも復興の条件の1つであると思うからです。 本当の復興 松原高校 Kuraoka Fumika 私はこの東北ボランティアに初めて参加しました。2学年からは1人だったのですが、東北には1度訪れたいと思っていたので、この企画に参加できてとても良かったです。 2011年3月11日に起こった東日本大震災、当時私は小学3年生で何が起きたのか分からなくて、テレビをつければ津波の映像、町の中が波に飲み込まれて行くのを見て、自然災害の怖さを知りました。月日が経ち、私自身も募金をするなど、少しでも被災した方の為にと行動をしていました。しかし、多額の募金ができる訳でもありません。だからこそ、この東北ボランティアで何か自分ができることはないか、現地を見ることで大阪でできることは何かを考えたくて、足を踏み入れました。 1日目に牡蠣の養殖場のお手伝い。2日目には植林活動をして、近くの海辺を歩き、生で堤防を見ました。さらにリアスアークという美術博物館にも訪れました。しかし、色々なとこを訪れ、復旧作業中の道路などを見て、「今自分にできることって何だろう」「ボランティアといっても知識が無く、自分って無力だな」ととても感じました。 1日目に訪れた、養殖場の小松さんが「支援をしていただきお返しがしたいけれど何もできていない」その言葉を聞き、何とも言えない気持ちになりました。ボランティアは見返りを求めてすることでは無くて、小さな日本という国の中で、大変な思いをしている人たちがいる、その人たちを助ける為に動いていて、支え合うのは当たり前です。しかし、何もできていない自分がいるのに、とても情けなさのようなものを感じました。大阪にいても募金活動ぐらいしかできず、現地に行けば自分にもできることが見つかるかと思えば、何もできず、小松さんは「学校の活動でここに来て交流を持つだけじゃなくて、大人になってもここに来て、あの時ボランティアで来たんですよという風な長い繋がりを持ちたい」とおっしゃっていたけれど、それができるのは数年後であって、今大阪に帰っても何をしたらいいのか分からなくて、この3日間を無駄にしてしまうような気がしました。しかし、今では自分にできることの答えが見つかった気がします。 2日目にリアスアークの東日本大震災当時の写真や被災物が沢山展示されている所を見ました。その時、館長の方から様々なお話を伺いました。この東日本大震災の展示がされている場所は99%が県外の人で、実際被災した方はほとんど訪れていなくて、1番被害の大きかった中学校1校だけが訪れたそうです。私はこの博物館は東日本大震災時の状況を知り2度と同じような被害の繰り返しをしない為だと思っていました。確かに東日本大震災は想定されていて、津波浸水区域の看板も建てられていましたが、実際はそれを超えており、その看板がぐちゃぐちゃに潰れていたのです。どれだけ来ると想定されていてもそれをはるかに超える地震が来る可能性があるのです。 館長は、想定されている=自分でどうにかするしかないという状況にあるとおっしゃっていました。被災した人に当時どんな状況だったと聞いても、当時の酷い現実を分かっていない人には「避難所に行って、毎日誰かが来て楽しい日々もあった」という話しかできない。でも実際は苦しい日々を送った人が多いのです。その事をちゃんと伝える為に地元の人が見に来ないと行けないということを聞きました。2度と同じ繰り返しをしないために、自分達が当時を知ることも大切だけれど、実際被災した人が現実を受け止め、それを伝えていくことが1番必要だと知りました。 しかし、それができていない今。さらに当時はほとんどの番組などが、募金についての協力を発信していましたが、7年経った今は、東日本大震災について触れられるのは3.11の日だけのように感じます。どんどん東日本大震災の苦しかった日々が忘れられていくのではないかと思います。そこで私は「自分にできることは、東北の方の思い、巨大地震を経験した辛さを忘れない為に伝えていく」ことだと思いました。高校生の言葉というものは微力で世の中を動かすことはそう簡単ではありません。綺麗事がもしれませんが、その微力が集まれば、大きな力になると思います。 私が今一番伝えたいことは、「復興」とは何かです。「支援する」という言葉を聞きますが、「支援」とは労力や金銭面などで助ける意を表します。また「がんばろう、日本!」などの言葉も聞きます。「応援」とは人やチームを精神的に助ける意を表します。「支援」で本当に復興につながるのでしょうか。町が元に戻っても、被災者の心を助けなければ何も変わらないと思います。被災者の方は忘れたくても忘れることができない記憶です。それなら私は、「支援をする」よりも、応援をし続けたいと思いました。「応援」と聞くと、他人事かと思われるかもしれません。綺麗事だと思われるかもしれません。しかし、小松さんが「忘れられるのが1番怖い」と言っていました。応援を続けることであの日のことを忘れずに被災した方の心の支えになれるのでは無いかと私は考えました。 気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校 Sato Natsu 私は今回初めて気仙沼ボランティアに、参加しました。 1日目 宮城県に着きまず目の前にしたのは南三陸町の防災庁舎です。その建物はテレビでみたことがあり生で見た時は思わず圧倒されてしまいました。次の大島まで牡蠣の養殖場に行く途中、何度も津波浸水地域の看板を目にしました。普段ならありえない高さのところに看板があったりと、想像しようとしてもなかなか想像しにくかったです。その後大島までいくフェリー乗り場につき牡蠣の養殖場まで向かいました。フェリーではかもめに、餌をやったり初めての体験が出来たのでとてもいい思い出になったのと同時に、このフェリーは今年で最後ときいたので悲しみもありました。 そこから30分山を越えて牡蠣の養殖場に、到着しました。そこから3グループに別れそれぞれお手伝いをしました。その中で1番思い出に残っているのが船に乗り牡蠣の養殖場に行ったことです。漁船に乗るのも初めてで、まじかで養殖場を見れて牡蠣の成長の過程まで詳しく説明してくれてとてもいい勉強になりました。 牡蠣のお手伝いをさせてもらったあと東日本大震災当時のお話を聞かせて頂いていただきました。牡蠣の養殖場をやっているのでもちろん目の前は海なので、家も何もかもがながされ自分たちは家裏の坂に登り助かったと聞きました。目の前で自分たちが当たり前に住んでいた家が流され大島は島なので何日間か孤立していたんだと思うととても胸が苦しくなりました。 養殖のお手伝いが終わり宿泊先である民泊のかたのお家にいきました。田舎で周りには緑が多くなかなか体験することの出来ない環境でとても気持ちが良かったです。私は、1日目の民泊先と夜ご飯が違う場所でした。夜ご飯では、普段は食べることが出来ないまきで炊いた釜ご飯を食べることができました。民泊先ではお母さんが暖かく迎えて下さって安心して1日目を終えることが出来ました。 2日目 リアスアーク美術館にいき震災当時の状況を知りました。リアスアーク美術館は高台にありその横には体育館もあって震災当時の避難場所も目で見ることができました。美術館には、津波で流された木造や生活物を「被災物」として展示されていました。これをなぜガレキと言わず被災物というか、その理由がとても心の中にのこっています。被災物には普段自分たちが何気なく使っている自転車や洗濯機、思い出のあるぬいぐるみ、どれも大切なものが一気になくなり元の姿とは違った形で帰ってくるときその持ち主の辛い気持ちが書かれていた文字を、見ると見るのも痛いくらいでもすごく感動できるものだったと思いました。それ以外にも、震災当日からの復興背景の文字と写真が飾ってあり、今まで私はテレビや新聞でしか見たことなかった、知らなかったこと以外のことを7年たったいまこの美術館をとうして初めて知ることができました。 この後海辺に行き植林活動を行いました。1人1本木を植えることができました。しかし、近くには海があり潮風によって木がしんでしまうことがあると聞いたので潮風でも 死んでしまわないように、震災の時ここに植えていたきにより多くの人の命が救われたとも聞いていました。なのでもし来年行く時またこの植林にきて自分が植えた木が元気に育ってくれてると嬉しいなとおもいます。その後海岸付近に散歩に行くと道路は整備されていたものの周りには建物などはなく盛土ばかりがありました。去年いった先輩はこれでも去年より工事すすんでいると言っていました。それでも7年たったにも関わらず復興はまだまだ進んでいないんだなと目でみて感じました。 2日目の活動が終わり私が止まっていた民泊先で初めて夜ご飯を食べました。疲れている私たちに優しく声をかけてくださって宮城県の名物のカツオのたたきまで食べさせてもらいご飯後には、おかしも用意して下さってすごい贅沢させてもらってるなと感じました。そのおかげで夜も気持ちく眠れました。 3日目 民泊の最終日で最後の朝ごはんまで豪華につくっていただいて2日間一緒にすごした松原の人とも仲良くなれてすごく濃い民泊の2日間だったと感じました。その後気仙沼高校に行き宮城県で最後の交流会をしました。名前であいうえお作文をしたり災害の時には備えておかないといけないものなと普段考えさせられないものを改めて確認することが出来いいきっかけになりました。それと同時に、私の班に同級生が2人いました。交流会の後半に仲良くなったのに遠慮せずに話すことができ最後には写真も撮ることができました。短い時間しか話す事ができなかったのにこんなに仲良くなると思っていなかったし、宮城県に新しい友達ができてとても嬉しく思います。 今回のボランティアで想像すること、震災の記憶をいつまでも記憶に残しておくこといろんな人に出会って沢山の経験をさせてもらってホントにいい体験をさせてもらったなと思ってます。この経験を活かせるように頑張りたいと思います。 気仙沼ボランティア 春日丘高校2年 Uehara Azumi」 今回で二年目の東北になります。昨年は初めてで事前研修の内容以外は何もわからないままスタートして目についたものについて考えて持ち帰ることしかできませんでした。それなので、今回はそのときに見て、学んだことからの変化について特に考えたいと思います。それに加えて、この一年で学んだ「多方向からの視点や多面的な考え方を総合的に見ることで新しい発見がある」ということから前回とは違う視点から広い目をもって様々なことを吸収したいです。この三日間を少しも無駄にすることがないようにできるよう集中して聞き取りなどに取り組もうと思います。 活動初日、まずはバスの中から南三陸、気仙沼を見て回りました。昨年に比べて盛り土が多くなったように感じました。そして坂口さん、小松さん、東北放送の方々のお話を聞きました。来るたびに道が変わって、商店などはそのたびに移転していることや、来年には道路と橋が開通すること、昨年中に防災支援住宅の建設がすべて終わったことを知りました。 確かに昨年にお店があったのが移動していたり、昨年はなかった建物があったりして驚きました。私は一年の間をあけてここに来たのでかなり大きい変化に見えましたが、現地の人はじわじわと変わってきているとおっしゃっていました。見ている視点によって感じ方も違うのだと感じました。 他にも現在の西日本豪雨にも共通する話で「行方不明が一番苦しい。どこかにいることを信じてまだ海に潜って探している人もいる」ということを聞いて災害時に安否を伝えることの重要性を再確認しました。そして一日目のなかで、私の中で最も心に残っているのは「忘れられるのが一番怖い」という言葉です。頭の片隅で少しでも気にかけていれば、人同士のつながりは消えない。私は昨年からのプロジェクト等を通して人のつながりの大切さについて考えることが多くなりました。来年は受験生でおそらくこのプロジェクトに参加することは叶わないでしょうが、今後テレビなどで気仙沼のことをみたときは今回のことを思い出せるようにして、少しでも長くこのプロジェクトで築いた人間関係を続けさせることができるようにしたいと思いました。 活動二日目、まずはリアスアーク美術館に行きました。お話を聞かせていただいた学芸員の方は「この美術館は物自体を見るためではなく、その背景にあるものを見るための博物館です。何のために何を伝えようとしているのか、そこから何を学ぶべきなのかを考えてみてほしい。」とおっしゃっていたので、二回目である今回はそれを意識して被災物を見ました。 入って最初に見える写真を見ているときに説明されたのは「東日本大震災の少し前にあったチリ地震による津波での被害が2階まで届かなかったため大丈夫だと思って逃げなかった人が津波に流された」ということでした。科学技術で自然をコントロールできる、自然の脅威に勝てると思い込んだ人間が今回の震災で特に被害者になっているため経験があるからと言って災害への心構えは万全でないと聞いて、自然の偉大さを考えながら人間がどうやって自然と歩めるよう意識を持てるのかが重要になると思いました。 また自分が想像していなかったことはいつでも起こりうるということから、これから新しい建物を作るときや新しい土地に引っ越すときには自分の想像の範囲をさらに超えるものにも対応できるようにして、対策を考えていくのが大切だと感じました。その他にも被災物には特別な物だけではなく日用品が多くありました。昨年にも学びましたが、災害はついさっきまで当たり前だったことを奪っていくので日常があることはとても幸せということを改めて学びなおしました。失って初めて気づくことも多いので当たり前のことに対して改めて感謝しました。リアスアーク美術館では過去に学び未来につなげていく、これからの未来を引っ張っていく私たちに最も必要なことを心に刻みつけました。そして現在聞き手の私たちが語り手となるとき、過去の歴史を固定的な観点で伝えるのではなく新しい世代の人にも多様な解釈ができるように情報や経験を伝えていこうと思います。 活動最終日、気仙沼高校との交流をしました。昨年と同じくポスターセッションをしました。今年のテーマは「災害に必要な物・こと」でした。大阪の高校も気仙沼の高校も必要と思うものには多数派や少数派がありました。私たちの班は書き出しもグルーピングもすぐに終わったのでたくさん話すことができました。方言の話や気仙沼の名産やおすすめのお土産の話、学校の行事についての話もできました。今年気仙沼高校では修学旅行で来阪するそうなので教えられることがあって話が弾みました。昨年は積極的に話すことができず、あまり交流できなかったので良かったです。今日会った人で見おぼえがあるけど話をした記憶がない人がたくさんいて、昨年に話しておけばよかったと後悔したのでこれから会う人とはその出会いを大切にしたいです。 昨年のプロジェクトでは実際に見て伝えることの大切さについて学びました。今回のプロジェクトには変化を知りたいという思いで応募しましたが、被災地での変化は現地ではじわじわ、一年越しだと大きく見える程度だとわかりました。そして、被災地の現状についてはこのプロジェクトにかかわらなければ恐らく知ることはなかったと思います。この東北プロジェクトに参加できたのは今まで先生や先輩方が気づいてきた人と人の輪のおかげだと改めて感謝しました。変化を知りたいと思い訪れた東北でしたが、最終的には人とのつながり、絆の大切さを身をもって体感できたと思います。今まではその場だけの関係で終わることが多かったですが、これからは関係をつなげていけるように特に意識して生きていきたいです。そして将来困ったとき、助け合えるようにたくさんの人と関わり、豊かな人間関係を築けるよう努力します。 |
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