第11回気仙沼ボランティア20190712−16
![]() |
左は、茨木市駅前募金 20190710 右も、茨木市駅前募金 20190710 |
![]() |
| 第一日目 20190712(金) | ||
| オリエンテーション | 坂口一美さんからの聞き取り | 整備が進む東北縦貫道路 |
気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校2年 Nanayo Kumamoto 私は今回が初めて気仙沼ボランティアに参加させていただきました。なぜ、参加したかと言うと、友達に誘われたからです。私は、友達に誘われるまでこの気仙沼ボランティアには参加しようとは思っていませんでした。でも、私はボランティアが好きだから行ってみようと思いました。 大阪から宮城県までバスで行くのは知っていましたけど、12時間以上、半日以上もかかるなんてすごいなと思いました。 私は、今までこんなに長いことバスに乗ったことがなかったので、酔うかなと思っていましたけど、ワクワクして楽しみすぎて全然酔う気がしませんでした。良かったなって思います。 13日の朝では、予定より早く着いたので南三陸商店街の裏にある土で埋め立てられたところを見に行きました。その震災の時にあった建物も8年経った今もずっと変わらぬままあるんだなって思ったらすごいなって思いました。 そのあと、カキの養殖をしているとこに行きました。カキの養殖のところに行くまで山道を歩いて行きました。最初は45分かかると言われていたけど30分くらいでついたのでびっくりしました。でも、ずっとバス移動だったのでちょうどいい運動になったのかなって思いました。 カキの養殖支援の前に、私の班は環境整備のため枯れた枝を下に降ろす作業しました。でも、優しい男の子が代わってやってくれてとても楽でした。その間休憩していました。そのあと、お昼ご飯に星型のハンバーグ弁当を食べました。とても美味しかったです。 船に乗ってイカダを見たあとに「みきの家」という1日に1組しか泊まれない民泊のとこに行きました。そこで今も行方不明になっている未希さんのご両親のお話を聞くことができました。 ご両親のお話によるとみきさんは、津波が来てずっと放送で「みなさん津波が来ました。今すぐ高台に逃げて下さい。」と、言っていてそのままお家に帰ることができなかったというお話を聞いて何て声をかけたらいいのかなって思いました。 とても貴重なお話が聞けて私たちは本当にある意味でラッキーだったのかなって思いました。そのあと、木造の小学校に行ってみん宿泊先のホストファミリーの方と会いました。そのあと、晩御飯をご馳走になりました。 晩御飯では、今まで食べたことないくらいの量が出てきました。食べるのにとても時間がかかりました。でも、めちゃくちゃ美味しかったです。おせちみたいなお皿に入っていてすごい豪華やなって思いました。 14日では、東日本大震災伝承館に行きました。伝承館では、たくさんの資料を目にしました。その震災当時のまま建てられていて、これからあとに続く世代、まだ東日本大震災の恐ろしさを知らない人たちにぜひ、この伝承館に来て知ってほしいなって思いました。 そのあとに、田んぼの雑草を抜きに行きました。私は、足にキズがあったので入れませんでしたので、カマで雑草を刈りました。刈るにつれてスッキリしていくのが私もとても気持ちよかったです。 田んぼで雑草を抜いている人を見ていたらズボンのお尻のところがめっちゃドロついてる人がいたり、髪の毛に泥が付いていたり、服にもドロドロに汚れていたりして汚れを取るのが大変やろなって思いながら見ていました。 それで、民宿先に帰ってから晩御飯を食べました。晩御飯では、肉じゃががてできました。他にも色々な種類が出てきてとても美味しかったです。その日は帰ってくるのが早くて13日のカキの養殖支援の日よりもだいぶ早く帰ってきたので、早く食べ終わることができました。 食べおわってからお風呂に入ってたくさん喋ってたくさん笑いました。腹筋が割れたんちゃうかと思うくらい笑いました。最後の日だったし友達に一緒に寝よって言われたので友達と一緒に寝ました。 でも、その友達がとても寝相が悪くてビックリしました。朝寒いのに自分が使っていた布団を取られてめっちゃ寒かったです。晩御飯を食べてる時に宿泊先の家のお孫さん、1歳になる前の8ヶ月の女の赤ちゃんを見てめちゃくちゃ可愛かったです。 15日は、朝から気仙沼高校に行きました。気仙沼高校では、アイスブレイカーや学校の校則や学校のあるあるなどを紹介し合いました。気仙沼高校の対応が良く優しい人が多くて良い人達だなって思いました。人見知りの私でもすぐに打ち解けることが出来て良かったなって思いました。 そのあとに海の市に行きました。海の市では、自分の家、おじいちゃんおばあちゃんの家、いとこの家、1番上のお兄ちゃんと2番目のお兄ちゃん夫婦にお土産を買いました。そのあとに、お昼ご飯を「リアスキッチンDELI」というお店で「フカヒレ海鮮まん」と「揚げたこ焼き」を買いました。アツアツでとても美味しかったです。 食べおわったあとに晩御飯のおにぎりとか買おうかなって行ったらおにぎりが売り切れだったので水だけを買いました。そのあとにバスに乗って大阪に向けて出発しました。 でも、バスを出発をするまでの間に色々と誰がいないだのと知らないで先に帰ってしまいそうになりましたが、みんな揃って帰ることができたので良かったと思いました。 気仙沼ボランティア 帝塚山学院泉ヶ丘高校 2年 中辻 あぐり 私はボランティア活動をする事が初めでした。 正直、周りの仲間たちと馴染めるか、ボランティアの活動の中で重荷になってしまうのでは無いかと危惧していました。実際、バスの中では1日目、他の学校の仲間とは話すことはできませんでした。 しかし、到着して牡蠣養殖場や枯れ枝の処理をしていく中で周囲と戮力していく中で普段の日常生活の中では皆無な達成感を得ることができました。牡蠣養殖場の海に浮かぶポールで転けそうになりながら、相撲のような足の体勢で進むのはなかなかのスリルがあり悦楽でした。 美希さんの御両親のお話は私には想像しても想像し切れない程の過酷さを伺うことができました。自分がもし…と思うだけで怖くなりました。大阪だから安全か?震災には目を向けなくて良いのか?と自問した時、私は自信を持って『はい。』とは言えません。いつ南海トラフが来てもおかしくない大阪です。 普段から身に構えて、危機感を持つことが如何に大切かわかりました。 2日目の東日本大震災のミュージアムでは、自分が想像していた以上に感銘を受けました。 私は8年前、当時8歳の小学2年生でした。地震が起きて針が止まった2時45分ごろ私は学校のトイレにいた事を今でも覚えています。家に帰り、お母さんとテレビを見て波が押し寄せていました。『津波』という災害を当時小さかった私はあまり理解しておらず、そのまま今に至るという感覚でした。 しかし、今回実際に家族、親戚を失った方々にお話を聞いて本当に当時の辛さや、急な災難による狼狽、沢山の事実を知ることができました。例え、自分が助かっても素直に『運が良かった。』なんて言葉は口に出来ない。全くその通りだと思います。 当時の2011年の映像を見た時、今の整備された気仙沼とはかけ離れていて驚愕しました。本当に言葉を発することができないとはこのことだと思いました。 高校3年の卒業式の答辞のスピーチは本当に感動しました。『命の大切さを知る代償が津波であり、代償がでかすぎた』こんな事、震災の10日後言えるでしょうか?私にはこの少年が勇敢すぎるように見えました。 津波がもたらす恐怖は尋常ではありません。 しかし、それを乗り越えるきっかけとなるのは私たちボランティアであったり、ほんの小さな出来事からかもしれないのです。その役に立つ手助けをする事はとても魅力的だと改めて感じました。 田に素足を入れるのは初めてでした。何かと今回の経験、初が多いものの、なかなかこれには勇気が必要でした。雑草を抜くだけ…と自分に言い聞かせて何とか入ってみました。案外入ってみると、こっちのもので、楽しくなりました。この時周りの仲間と結構話もできてすごく嬉しく感じました。NPO法人の役になってるんだなぁ、すごいなぁ、と思いつつ、あまり実感はありませんでした。 滝もなかなか大阪では無いので、初めて入りました。すごく冷たくて気持ちよかったです。私にとって、田との縁は最初で最後かも知れないですが、お米を育てる苦労、労働力がわかって、お米一粒の価値がすごくわかりました。とても良い体験をさせていただきました。 3日目は気仙沼高校を訪問しました。その時感じたのは、祝日なのにもかかわらずこれだけの生徒が私たちのために登校して来てくれたことへの感謝の気持ちでした。私なら自分の休養を削ってまで登校をしたくありません。しかし、校長をも含む多くの生徒が私たちを歓迎し暖かく迎えてくれました。 来年は高校三年生で受験生になるのですが、是非無理をしてでももう一度訪れたいと思いました。もっと一緒に居たかったのに時間が本当に短すぎました。 今回の唯一無二なことは、私にとって今までの小さく閉じこもった殻にヒビを入れるような衝撃なことや、知識がつきました。これを機にというのも何ですが、これを踏み台として私はこれから沢山の人々や経験と向き合う際、役立てたいです。今回思い切って参加してよかったです。 | ||
| 第二日目 20190713(土) | ||
![]() |
||
| 震災直後の防災庁舎の様子 | かさ上げ後の南三陸町市場から防災庁舎を望む | おばあちゃんが会いに来てくれました |
![]() |
||
| 12mほど嵩上げされた南三陸町の市場から見える、嵩上げされた堤防と旧防災庁舎の鉄骨の五階部分 20190713 | ||
| 気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校 Natsuna T 今回初めて気仙沼のボランティアに参加しました。初めてで忘れ物とかないかなとか思って緊張していたけれど友達も一緒に参加していたので緊張がほぐれました。車内泊でバスの中でちゃんと寝れるかなとか思っていたけれど、そんな心配はいらなかったくらいぐっすり眠れました。 【2日目】 宮城県に着いてまず南三陸町の高台に行きました。今自分たちが立っているところは12mくらい高くなってるんだよと言われ、そんなに高くまで津波が来たんだなと思いました。去年や一昨年に比べて今年はとても綺麗になったんだよーと言っていて、去年や一昨年を見ていないから分からないけれど、こんなに綺麗になったのは地元の人達が頑張った証拠だなと思いました。 次にヤマヨ水産と言う牡蠣の養殖場を見に行きました。そこまでに45分くらい山登りをしてすごくしんどかったです。小松さんに養殖中の牡蠣を見せていただいた。養殖のイカダに楽々と乗っている人がいて怖そうだなと思いました。 『未希の家』に行きました。そこでは津波で流される直前まで『みなさん津波が来ました。今すぐ高台に逃げて下さい。』と避難放送を流していた未希さんの話を聞きました。話を聞いてついさっきまで声を聞いていて、姿を見たのに急にいなくなるという事はとても辛い事だなと感じた。未希さんのご両親は未希さんは20代という若さでで亡くなって、もっと生きてやりたい事が沢山あったのに亡くなってしまってとても悲しいなと思いました。 震災から8年、『8年という月日は過ぎる前は長くてでも、過ぎてしまったらあっという間』と未希さんのご両親が言っていたから1日1日を大切に生きようと思いました。 『おじいちゃんおばあちゃんを亡くしたら過去を無くすこと、お父さんお母さんを亡くしたら今を無くすこと、子供を亡くしたら未来を無くすこと』と言われ、未希さんのご両親は未来を無くしてしまったんだなぁと思いました。こうして今、朝昼晩食べられていること、お風呂に入れてること、全部が当たり前だけれど被災して朝昼晩しっかりと食られなかったり、お風呂に入れなかったり、当たり前はいつか当たり前じゃなくなるかもしれない。だから今、当たり前ことを大切にしたいと思います。 貴重なお話が聞けて本当に良かったです。 その後、民宿先に行きました。民宿先の方が集合場所の月立小学校まで迎えに来て下さって車で民宿先まで行きました。民宿先の畑がすごく大きかったです。晩ご飯にカツオが出てきてとても美味しかったです。 【3日目】 今日は龍の松を見に行ってから、伝承館に行き、田んぼの雑草抜きをしました。 龍の松では津波によって龍の形のようになった木を見ました。 次に伝承館に行きました。伝承館ではまず震災時の映像を見てから、校舎の中を見せていただいた。震災時の映像を見て、車や家が軽々流されていたり、元の川の流れと反対の流れの津波がすごい勢いで逆流していて、自分の家の近くの川がこんな風になったらと思うととても怖かったです。校舎に津波によって流され教室等に入ってきた車やガレキなどを見せてもらいました。校舎の中はすごく物が散乱していた。車が3階まで来ていてすごい高いところまで来たなと思いました。屋上に上がらせてもらって、水平線の方を見てガイドの人がここには今は土がいっぱいだけど、震災の前は家が沢山あったんだよと言っていて津波の威力はすごかったんだなと思いました。 その後、気仙沼の中学校の卒業式の映像を見ました。その映像では中学3年生の子が答辞を読んでいました。その文章が中学3年生とは思えないくらいしっかりした文で文章力がすごいなと思いました。その答辞を読んだ子の友達や同級生が見つかっていないときに卒業式をやったらしく中学校の卒業式なのに全員揃っていないのはとても悲しいなと思いました。 田んぼの雑草抜きはまず田んぼまでの坂道がしんどかったです。田んぼまで辿り着いて入ろうと思ったら、生き物がたくさんいて踏んでしまいそうだなと思ったけど、踏まないように気を付けて歩きました。田んぼの中でコケてお尻に泥が付いている人や泥を投げ合って髪の毛まで泥が付いている人もいました。足を洗う河瀬の水がすごく冷たかったです。田んぼの雑草抜きはすごく大変でこんな大変なことをお米農家の人はやっているのかと思うとお米を食べれるありがたさを感じました。 民宿先に帰って、泊まりが一緒の子と今日で最後だからと言って写真をたくさん撮って顔が痛くなるくらいまで笑いました。とても楽しかったです。 【4日目】 今日は気仙沼高校と交流をしました。最初はとても緊張していたけれど、気仙沼高校の方々が考えて下さったアイスブレイカーや学校あるあるのおかげでだんだん喋れるようになって、最後別れるときにはとてもまだ話したいなと思った。仲良くなった子とLINEとかを交換しました。野球部の方々が荷物を運んで下さったり、最後までお見送りして下さったりして頂いてとても嬉しかったです。 交流が終わったあと、海の市に行って、お土産を買ったりお昼ご飯を食べたりしました。 地震が起きてから8年、見た感じは復興できているように見えていてもでも、背景ではまだまだ復興できていないというところがあると思います。なので、来年は受験とかがあるので来れるか分からないけれど、このボランティアに来れるのであればぜひ行きたいなととても思いました。 |
||
![]() |
![]() |
![]() |
| ヤマヨ『水産小松武代表からの聞き取り | 環境整備作業、間伐材を取り除く。 | カキの養殖イカダの体験活動 |
![]() |
||
| 2011年3月11日の東日本大震災では、すべての養殖イカダが焼失したが、全国からの支援もあり、イカダの数も元の数に戻ってきた。20190713 | ||
![]() |
![]() |
![]() |
| 南三陸町の未希の家さんの入口 | 未希さんのお母さんからお話しを伺う | 未希さんのお父さんから話を伺う |
| 気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校 Yukika H 今回の気仙沼のボランティアは初めての参加で、不安もあったのですが、とても楽しくていい思い出が作れたことが嬉しかったです! まず初めに、7月12日金曜日の8時に出発して7時30分くらいに南三陸町に着来ました。そして、防災庁舎を見ました。12mの高さまで土を盛ったと聞いて、あれほどの砂の量を運んで持っていくのはすごく大変だっただろうなと思いました。また、例えると3階まで、津波が上がってきたことに驚きました。最後に津波が起こった直前の写真を見て、バスに乗りました。 次に、牡蠣の養殖をしているヤマヨウ水産に行きました。約45分の山を歩くという長い道のりで上り坂も多くきつくて暑かったのですが着いてから直ぐに枝の除去を開始し始めました。それからお昼ご飯を食べて、その後船に乗って牡蠣の養殖場を見たりなどとても楽しかったです。災害時の状態、牡蠣の養殖場の復興をしていた時の苦労や、前の気仙沼のボランティアの人達のおかげで助かった。など色々なことを聞いて、本当に色々な人の支えや努力があったんだなと思いました。 次に末希の家に行き、未希さんのことについてや、民宿を始めたきっかけや、ご両親の気持ちを聞いて未希さんの人の悪口を言わない性格や、未希さんのことで命を大切にしていこうと決めたいう気持ちを聞いて、凄く貴重な体験をしました。そして命というものについて深く考えさせられました。 それから、民泊先のホストファミリーの方と顔合わせをしました。最初は緊張しましたが、ホストファミリーの方々が話しかけてくれたり、蛍を見せてくれたりととても優しくしてくれたので、緊張も解けてすごくラックス出来ました。また、ホストファミリーの方が、育てた野菜などが夜ご飯に出てきてとても美味しかったです。 2日目は、龍の松という津波の際に、曲がってしまいそれが龍のようにうねっていることから、龍の松と呼ばれているそうです。そこで、集合写真を取りました。 そして伝承館に行きました。そこは、気仙沼海洋高校という学校が元々立っていました。伝承館では津波が実際起きた時の映像、地震が起きた時にぐちゃぐちゃになってしまった校内を見ました。そこで私は、4階まで車が上がってきているものを見て、そこで津波というものは、私が思っている以上に怖いものなのだと思いました。 その次に、はまわらすという場所にに田んぼの掃除の手伝いをしに行きました。お昼ご飯を食べて田んぼへ向かいました。最初は、虫がいっぱいですごく嫌だなと思っていましたが、いざ田んぼの中に足を踏み入れ雑草の掃除をしてみるといつの間にか夢中になって雑草を掃除していました。子供たちが頑張って植えた苗を間違えてとってしまわないようにするのがすごく苦労しました。雑草の掃除が終わったら近くの川で、足をあらってバスに乗り込みました。 そして、ホストファミリーに送ってもらい民泊先に帰って美味しいご飯を食べて、お風呂に入りました。最終日は、テレビの前でホストファミリーとたくさん笑ってたくさん話しました。とても楽しかったです。それから荷造りをして寝ました。 最終日は、ホストファミリーの方に集合場所まで送ってもらいました。最後の記念にと一緒に写真を撮ってもらいバスに乗って気仙沼の人達との交流に向けて出発をしました。 自分はとても人見知りなので、最初は話せるか緊張しました。でも、気仙沼の生徒の人が企画してくれたゲームで、緊張が解けて嬉しかったです。その後も気仙沼と茨木の高校のあるあるゲームなどをして気仙沼の高校は、1.2年生バイト禁止と書いてあるのもあったり、気高まんじゅうというのが体育会の優勝者に配られるとか、スマホを触れないなど、大阪の高校からしたら珍しいことが沢山あって、驚きました。そうやっ気仙沼の生徒達との交流を楽しむことが出来ました。最後は、生徒の方たちが、手を振って、お見送りしてくれたのがとても嬉しかったです。また、野球部の方々が、お見送りとお出迎えで荷物を運ぶのを手伝って下さったことがとても嬉しかったです。 交流が終わると、海市という場所に行って、お土産屋や、お昼ご飯を食べました。サメが有名だと、ホストファミリーに聞いていたので、フカヒレせんべいを買いました。 今回のボランティア活動を通して感じたことは、命の大切さをとても、深く考えさせられました。また、先生も言っていましたが、ほかの地域の人との交流をすることはとても大切なことなんだということも、分かりました。そして、何よりも、思ったことが、津波はとても、危険で自分たちの住んでる地域では津波は来る可能性が低いかもしれないけど、地震が来た時に備えての準備をしておくことはとても大切だと思いました。復興から8年経った今、見た感じは復興しているように見えても、背景ではまだまだ足りないところがあると聞いて来年の気仙沼ボランティアも、行くか考えてみようと思いました。 |
||
| 第三日目 20190714(日) | ||
![]() |
![]() |
![]() |
| 東日本大震災伝承館 旧気仙沼向洋高校 | 3階部分に流れてきた自動車の残骸 | 1トン以上ある車が校舎に流れ着いた |
![]() |
![]() |
![]() |
| この壁の向こうに冷凍工場の建物が激突 | 向洋高校の生徒は全員避難し助かった | 校舎の間に流れ着いた残骸が当時のまま |
![]() |
||
| 当時のままに残された校舎の様子に言葉を失う参加者 20190715 東日本大震災伝承館 | ||
![]() |
![]() |
![]() |
| NPOはまわらす代表からの聞き取り | NPOはまわらすでの記念撮影 | 子どもの植えた田んぼの雑草抜き |
| 気仙沼ボランティア 北摂つばさ高校 Misa S 私は気仙沼ボランティアにずっと参加したくて友達に誘われて決意を決めて今回初めて参加しました。ボランティアをすることは好きだけど知らない子ばかりだし、何をしたらいいのかもわからず不安ばかりでした、でもその反面で知らない土地、知らない体験、新しい出会いができることに好奇心もありました。 1日目、牡蠣の養殖の場に行きました。そこで小松さんから色々話を伺ったり、見せてもらいました。代々気仙沼に来た北摂つばさの先輩が復興のお手伝いで、天井の支えの二枚の鉄が入った重たい柱を大人数で運んだり、たこ焼きを作った話を聞いて、すごいと尊敬しました。他にも牡蠣の養殖を見せてもらったとき筏に初めて登って歩いて最初は落ちそうで怖かったけど慣れて歩けて、いい体験をできたと思います。数カ月と一年の筏では歩きやすさが全然違いました。牡蠣の大きさも全く違いました。 次に遠藤さんのお宅に行って津波の被害でお亡くなりになられた娘さんの話を聞きました。娘さんの未希さんが無くなったあとの話をしていらっしゃるときに、笑顔のために前向きに生きて日々を大切にと言っていらっしゃって自分も頑張ろうと思いました。未希さんの働く身としての勇敢さというのかわからないけれど、最後まで落ち着いてしっかり避難の言葉をかけていた話を聞いてなんとも言えない気持ちになりました。複雑でした。娘さんの性格の話を聞かれて答えていらっしゃったときは未希さんのお母様が泣いていらっしゃって、自分も泣きそうになるくらい気持ちが伝わってきて苦しかったです。 2日目、伝承館に行きました。押し波、引き波など津波が来たときの映像を見ました。津波が家を運んで持っていってしまったり、数分で陸地に上がってきたのを見て、もし大阪にもこんなことがあったらどうしたらいいのかってことをすごく考えました。悲惨な跡地や映像を見て津波の強さ、怖さがすごく伝わってきました。屋上に残った先生たちの生き残るための努力で考えて上へ上へと登った話を聞いて、机の使い方をそう使って登ったことや生きるための努力がすごいと思いました。そこまで自分なら思いつかなくて諦めてしまいそうだなと思いました。 流されてきた物や壊れた物、車や各部屋の散らかりどれを見ても何も言葉が浮かびませんでした。圧倒された感じがしました。その後の高校の卒業式の映像も見ました。男の子が同じ年でスピーチを苦しみながらも言葉を発しているのを見て、自分があの子達の立場だったらその場に立ててないだろうと思いました。家を流されたり、見つからない友達や自分の制服がない子がいる中沢山のことを含めて話していてすごいと思いました。強くその映像が頭に残っています。 次に浜わらすで畑の雑草抜きをしました。途中までは草むしりを外側でしていました。けれどみんなが楽しそうにしてるのを見たら入りたくなって途中から畑の中に入りました。初めてのことで雑草か稲か区別が難しかったです。でも、とても楽しく、いい体験をさせていただいたと思います。 終わってから民泊でした。民泊先の人も一緒に泊まった春日丘高校の方二人も良い方でとても楽しかったです。二日目の民泊のときは夜に木に桜の木の革を切り抜いたりして貼り付けてストラップも作らせていただきました。とてもいい思い出になりました。民泊で「~したらば」、「~べ」といった方言がすごく印象に残りました。ご飯も美味しくて自然も良くて優しい環境で過ごしやすかったです。夜は疲れて爆睡しました。 3日目、宮城最後の日、民泊先の人とお別れをしました。2日間だけど思い出が沢山あって少し寂しかったです。また機会があるなら来たい、来ようと思いました。その後気仙沼高校で交流をしました。その時にはもうすっかり周りの知らない子とも気軽に話せて、気仙沼高校の同じ班の女の子と趣味の話や学校の話をしました。ゲームも楽しかったです。学校によって規則の厳しさや体育祭の形、教科の形などが違っていて大変だなと思いました。一年生からエリアの代わりにできたコースの話も聞いて自分の学校なのに知らないことも知れて良かったです。 それぞれ学校の個性を聞けて良かったです。全体的に見て、3年のこの最後に気仙沼に来れて良かったと思いました。悩まずにもっと早くから沢山来たかったなと思いました。最高の思い出になったと思います。ボランティアで沢山のことを見て思った気持ちを忘れずに、これからへとつなげて頑張っていきたいと思いました。もっと一日一日を出会いを大切にできたらいいなと思いました。 自分はこれが最後の機会だったけれど、自分の今の気持ちのように良い体験ができるし楽しいのでまだ参加する機会がある人には後悔なく、沢山参加して気仙沼の良さをもっと知ってほしいと思いました。たくさんの人に、震災にあってしまったけど、それを前向きに考えてしっかりと進んでる気仙沼に行ってどんなところなのか体感してほしいと思いました。 |
||
| 第四日目 20190715(月) | ||
![]() |
![]() |
![]() |
| 2014年3月に来阪した球児が教員に | 気仙沼高校 狩野秀明校長先生の挨拶 | 大岡成樹団長から義援金の手交 |
![]() |
||
| 気仙沼高校、春日丘高校、帝塚山泉ヶ丘高校、北摂つばさ高校の生徒交流会 20190715 気仙沼高校 | ||
![]() |
![]() |
![]() |
| 野球部も加わっての記念撮影 | 廊下に掲示されていた祈り | 3月の野球に向けての記念撮影 |
| 東北プロジェクト 春日丘高校 Chisato N 私は今回、初めて東北を訪れました。 1日目、あまりよく眠れないまま、宮城県に着きました。バスの外へ出ると、南三陸町の防災庁舎がありました。15メートル以上もの土を積み上げ、今に至っているそうです。当時の被災の様子が写真に残っていて、とても道路が整備されたことに驚きました。 牡蠣ヤマヨ水産では、山の枝の処理のお手伝いをさせていただきました。雨上がりでとても蒸し暑く、たくさん汗をかきましたが、とてもいい経験になりました。他にも船に乗って牡蠣の養殖を見させていただいたりと、普段大阪ではできないことがたくさんできてよかったです。行きと帰りは山道を通り、とてもしんどかったですが、達成感がとてもすごかったです。また、帰りには命の橋を通りました。今年の4月にかかったばかりで、この橋のおかげでたくさんの救える命があり、町の人たちの生活が豊かになったそうです。 その後、未希の家を訪れました。津波が来てもなお、町の人たちに避難をアナウンスして行方不明になったそうです。遠藤未希さんのご両親のお話にはたくさん考えさせられるものがありました。当たり前がなくなってしまう悲しさと怖さを、忘れてはいけないと感じました。未希さんの性格や、ご両親のすばらしさにはとても胸が温かくなりました。 特に、「生きたい人が生きれなかった。生かされた人が死にたいと思ってはいけない。前を向いて生きようと思った。」と言う言葉はとても印象深かったです。出発の前に先生方がおっしゃっていた、支援しに行ったつもりがいつのまにか自分も支援を受けている、ということがどのようなことかわかったような気がしました。 民泊では、3月11日の様子やその後の支援、救護のお話を伺うことができました。美味しいご飯も食べれてとても幸せでした。 2日目は、ぐっすり眠れて朝ごはんの準備をお手伝いさせていただきました。朝食のときに民泊のお父さんがくすのきの枝をくれました。とてもいい匂いで嬉しかったです。 伝承館へ行く前に、龍の木を見に行きました。初めはなんのことだかわからなかったけど、木を見てみると龍に見えてびっくりしまた。伝承館では、向洋高校の津波の跡がそのまま残っていました。缶詰の工場が校舎の壁にぶつかったり、家が校舎と校舎の間に挟まったりしていたと聞いてとても驚きました。今まで写真でしか津波の跡を見たことがなかったので、とても衝撃を受け、いい経験になりました。 階上中学校の卒業式のビデオでは、梶原ゆうたさんの答辞を見ました。在校生が卒業生に制服を貸していたと知り、とても驚きました。また、当時、まだ見つかっていない友人もいたり、友人を失ってしまったりした中で堂々と答辞を読んでいる姿はとても印象深かったです。館長さんのお話もとても驚くことばかりでした。 はまわらすでは、田んぼの雑草抜きをしました。田んぼには小学生の頃入ったことがあったけれど、最初は少し入るのに抵抗がありました。でも、入っていくうちに少しづつ慣れてきて、休憩の頃にはまだ作業がしたいと思うほどでした。はまわらすの子ども達は小さい頃からこういう風にたくさん自然に触れ合う機会があって、とてもうらやましいと思いました。 民泊では、木の幹を使った工作をさせていただきました。桜の幹の皮で好きなデザインを切り取って、丸い木の幹に貼ってストラップにしました。とても貴重な体験をさせていただいてとてもうれしかったです。 3日目は、民泊の人たちとお別れでした。朝、玄関の前で写真を撮り、学校に着いてからも撮りました。とてもお世話になったので、悲しかったです。 そのあと気仙沼高校に行きました。そこでは、班にわかれて、ペアの人の紹介をしました。紹介が終わってから、それぞれの学校の校則や魅力などを話しました。同じ大阪府でも全然ちがうルールがあったり、気仙沼高校とも同じようなルールがあったりと、いろいろなことを知れてとても楽しかったです。気仙沼高校では生徒が主体となって2ヶ月に1回くらいのペースで避難訓練が行われるそうです。 普段の授業でも防災について考えたりしているそうなので、私たちももっと考えるべきだと思いました。また、同じ班の気仙沼高校のひとと仲良くなれたりしてとても嬉しかったです。このような繋がりを大切にしていきたいです。 最後に、このボランティアに参加したことで、たくさんの人たちの言葉や気持ち、様々な現場に触れ、自分の耳で聞き、自分の目で見ることでたくさん考えさせられることがありました。普段出会うはずのないたくさんの人に出会い、たくさんの繋がりを持ちました。 この繋がりや経験は私にとってとても大きなものになったと思います。どの人たちも、当たり前という言葉をよくおっしゃっていました。いろんなお話を聞いて、当たり前というものは1番大切なものなんだと思いました。今回学んだことを、いろんな人たちに伝えていきたいと思います。 活動を終えて 北摂つばさ高校 Sachi K 7月12日の夜に学校を出発し、宮城県気仙沼に着くまで約12時間のバス移動でした。この東日本大地震現地ボランティアに参加するのは今回で2回目になります。毎年3月11日が近くなると大阪でも東日本大地震について報道されますが、それ以外のときにテレビなどで目にする機会はなくなりました。 そんな中で、私が今の東北の状態を知るには現地に行って自分の目で見るしかないと思い参加しています。そして、やはりこちらの様子を見て自分の目で見る大切さを実感させられます。大阪にいたら知り得ないお話を耳にし、復興の進行状況などを目にするととても心が痛くなります。 宮城県に入り始めにさんさん商店街を訪れました。去年、来た時はバスで前を通っただけだったので実際に降りたのは初めてでした。さんさん商店街の裏に見える赤色の鉄筋、それが防災庁舎で自分と同じ高さにあるところが建物の五階部分だったと聞き驚きました。土で地面をかさ上げし、当時の五階部分まで地面が上がっているということ、想像を働かせ考えるしかなく当時の写真と比べることで理解することができました。 次に向かったのが、大島です。去年まではフェリーで大島まで渡っていました。ですが今年は橋がかかり、バスで移動することができました。島民の皆さんが50年願い続けていた橋。開通した初年に、歩いて渡ることもできとても楽しかったです。私まで嬉しくなりました。 その後は、みきの家を訪れました。遠藤みきさんのお話はニュースなどで何度も目にしており、知っていました。震災でご家族を亡くされた方のお話を聞く機会など今まで全くなく、今回初めて耳にしました。生の声で聞くとても悲しいお話に胸が痛くなりました。 冷静に聞こえたみきさんの放送は、みきさんの強さだと知りました。津波が来ると放送し続けて、自分も逃げたい気持ちでいっぱいだったと思います。でも、地域のみなさんのために呼びかけ続けたみきさんはすごくかっこいいです。みきの家を後にするとき、ご両親につばさの3年生でお礼を言いました。するとお父さんは私たちに「強く生きろよ」と笑顔で言ってくださりました。強く生きる、難しいことですが胸に刻まれました。 2日目の朝は伝承館に行きました。当時のまま残された高校の校舎を自分の足で歩き、残されたままの椅子や机、教科書を自分の目で見ました。写真で見るのとは全然違い、衝撃で言葉が出ませんでした。最後の部屋で一番大きなパネルで飾られていた、水を運ぶ少年の写真が一番強く印象に残っています。当時10歳と書かれた文字を見て、私と同い歳だと気付きました。10歳の自分にあの子と同じ行動ができたとは、とても思えません。10歳で人の役に立ちたいと思い家族に内緒にし、怪我をしてまで行い続けた行動に心が痛くなりました。 中学校の卒業式で読まれた答辞の映像も見させてもらいました。いろいろな感情が入り混じっていたのが伝わる答辞でした。涙が出ても拭わず一生懸命に想いを伝える姿にとても感動しました。最後に施設を出て私たちの班の語り部さんにお礼を言いました。すると語り部さんに「頑張って」と言われました。頑張るしかないな、心から思いました。 午後からは、はまわらすの活動に参加させていただきました。田んぼに入り、稲の邪魔になる雑草を取り除く作業でした。私は、18年生きてきて初めて田んぼに入りました。その場にずっと立っていると沈んでしまうぐらいドロドロで初めての感触でした。 初めは、雑草と稲の苗の違いがわからず間違えて抜いてしまいそうになりました。教えていただきながらゆっくりやっていると徐々に見分けられようになり、素早く作業することができるようになりました。ドロドロの感触も気持ち悪く、虫もアメンボもたくさんいて初めは嫌だった作業も慣れた頃には楽しくなっていました。尻もちをついて汚れている子を見てみんなで笑いながらする作業はとても楽しく充実した時間になりました。 3日目は、朝から気仙沼高校におじゃましました。気仙沼高校の方が考えてくださった企画を班ごとに楽しみました。自分の学校と他の学校で違うところ同じところを見つけることができました。去年仲良くなれた子とも再会することができ、今年は今年で新しい友達もできました。インスタを教え合いました。そういう繋がりもいいなと私は思います。 気仙沼高校をバスで出発すると野球部の方が最後の最後まで走って見送ってくれました。すごく嬉しかったです。そのあとは、海の市に行きました。去年と同様、かつお祭りが行われていて人が沢山いました。すごくにぎやかで楽しい雰囲気でした。 私は、高校1年生のとき勇気が出ずこの活動に参加することができませんでした。今になって、そのことをすごく後悔しています。1年のときから参加し、少しでも多く気仙沼を訪れたかったです。気仙沼に来て、私たちにできることはお手伝いだけではないということが参加した今ならわかります。 民泊先の人とたくさんお話し、気仙沼高校の方とも交流して聞いた被災当時のことや自分の目で見た現在の街の様子、それを大阪に帰ってみんなに伝える。それが今の私にできるボランティアの1つだと考えます。 私は3年連続参加 皆勤することができなかったので、ぜひ今年参加してくれた1年生は来年再来年も参加し、この活動を続けていけるよう手伝ってください。大阪府と宮城県は遠く離れています。この活動に参加しなければ出会えなかった人がたくさんいます。去年、今年を振り返り来てよかった、心からそう思えます。 また、機会があればOGとして参加したいです。 東北プロジェクト 春日丘高校 Yui N 初めて被災地に来て、まだまだ工事中の場所や空き地が多くあったけど、震災直後の写真からは想像できなくらい復興が進んでいて驚きました。写真で見ていた地面の高さをかさ上げしたところは、実際に行って見てみると、その高さがかなりあることがわかり、こんなに高くしないといけないなんてと津波の高さがすごいことを改めて感じました。 また、牡蠣の養殖場で、牡蠣がどのように養殖されているのかを知り、その大変さも同時に学びました。そんな大切に育てた牡蠣が焼けてしまうなんてどんな思いだったんだろうと思いました。また、まさか家が流されるとは思わず寝たきりの家族を家に置いて行った人もいたと言う話を聞いて、あんなに大きな津波は本当に想定外だったんだなと思いました。 未希の家で、未希さんのご両親のお話を聞いて、想定外だったって簡単に言ってはいけないと思いました。想定外だったから仕方がなかったと簡単に思ってしまうけど、仕方がないですましていい命なんて絶対にないので今後想定外という言葉を簡単に使うのはやめようと思いました。そして、未希さんのお母さんがおっしゃっていた想定外を考えることをしようと思います。また、生きることが辛いという言葉から残された家族の辛い思いが感じ取れました。 その他にも、未希さんのお父さんが奥さんを亡くすことは今をなくすこと、おじいちゃんとおばあちゃんを亡くすことは過去をなくすこと、子供を亡くすことは未来をなくすこととおっしゃっていたのがすごく印象に残っています。 民泊でお話を聞いて、津波が家を流した時にたった砂埃が入道雲のようだったとおっしゃっていて、改めて津波の威力を知りました。また、震災から数日後に取られた写真も見せてくださり、被害の状況がまた少し想像できました。また、写真はなかなかとりづらいともおっしゃっていました。 初めて被災当時の状態を実際に見て、やっと被害の様子がわかった気がしました。伝承館で教室の様子を見たときは、実際に使われていたのが想像できなくらいの状況で、教科書や作業服などをみることによってそこにも日常があったという実感がわきました。また、車がぐちゃぐちゃになって積み重なっているところ、缶詰め工場がぶつかったところをみるとその威力のすごさがあらためてよくわかりました。 そして、水平線の高さで津波が迫ってきて死を覚悟したというお話を聞いて、そんな状況の中で生きるために瞬時に判断して行動できた人々はすごいなぁと思いました。私は、もし死を覚悟するような状況におちいったらとっさに判断して行動に移せる自信がありません。もっと普段から災害時の避難方法について考える必要があると思いました。 奇跡の龍を見て、津波は多くのものを奪っていったけど、この龍は得たものだから、そう考えるとすごく貴重なものだなと思いました。 田んぼに入って草取りを体験してみて、泥の中はすごく歩きにくいし虫もたくさんいてすごく大変だと思いました。そしてそれと同時にお米を育てる大変さを知り、もっと食べ物をいただくときに感謝しようと思いました。この田んぼでの体験は、あたりまえの裏にある人々のはたらきに気づかされ、あたりまえがあたりまえでないこと、自分が一人では生きていけないことを知るすごく貴重な経験になりました。 自分がたくさんの人に支えられてあたりまえの日常を送れていることを忘れずに、感謝の気持ちをしっかりもって生きていこうと思いました。そして、いつか私も多くの人々を支えられる人間になれるように頑張りたいです。 気仙沼高校の生徒さんたちと交流をして、コミュニケーションをとることの大切さや人と人とのつながりについて学べました。最初はグループに同じ学校の人がいなくてすごく緊張していたけど、話し合いとかをしていくうちにだんだん緊張も解けていきました。また、交流が終わる頃にはみんなすごく仲良くなっていて、またひとつ人とのつながりができていていいなと思いました。 この東北プロジェクトに参加して学べたことはたくさんあります。まず、東日本大地震の被害についてお話を聞いて災害の恐ろしさ、想定外を考えなければならないこと、とっさの判断力と行動力の大切さ、命の重みを学びました。災害はいつでも誰にでも、襲いかかってくる可能性があります。体験された方のお話で学んだことを家族や友達などに伝え、人々の防災意識を高めていくことに貢献することが大切だと思います。 また、田んぼに入ったり、民泊で木を使ったストラップ作りを体験させていただいたりと自然に触れ、自然の大切を学びました。今、世界では森林伐採によって砂漠化が進み、それにより私たちの送るあたりまえの生活を送れていない人々がいます。そういった問題も解決していくためにも自然に触れ、その大切さに気づくことは大事だと思います。 そして、田んぼに入ってお米作りの大変さを知ったことで、あたりまえはあたりまえではなく、多くの人の働きの上に成り立っているものであり、自分自身も多くの人に支えられているということを学びました。 一人では生きていけないということを忘れずに、感謝の気持ちを大切にお互いに支え合うということが重要だと思います。 全体を通して学んだことは、コミュニケーションをとることの大切さと人と人とのつながりの大切さです。こういったプロジェクトでは、知らない人ともしっかり協力して行動することが大切です。協力して行動することで作業の効率も上がり、より大きなはたらきができます。そのためにコミュニケーションをしっかりとることが必要だと思います。また、何かあった時の助け合いは非常に大切だと思い、その助け合いのために人とのつながりは大切にすべきだと思います。 このように、今回の東北での取り組みは単に東日本大地震について知り、人々のお手伝いをするだけでなく、多くの大切なことに気づける非常に良い経験になりました。今回学んだことを活かしていけたらいいなと思います。 |
||
| 第五日目 20190716(火) | ||
![]() |
![]() |
最終日、まとめの集会の後、感想を入力して、 解散しました。 皆様のご理解とご協力、ありがとうございました。 |